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中高年の「元気が出るページ」12月号                         ①スイス鉄道車窓からの絶景、第3回再掲載     (YouTube)                                      ②第4回 アフガニスタン現地報告会

アフガニスタン山の学校支援の会(第2期)

第4回 現地報告会 武蔵野公会堂(武蔵野市吉祥寺)で開催


 長倉代表の2年ぶりの現地訪問は7月。しかし、この2ヶ月で武装勢力タリバンが権力を掌握。
それに抗して声をあげたパンシールにタリバンは兵を送り込み、同時にパキスタン軍の空爆により、大変な事態になってしまった。今回は訪問報告ばかりでなく、アフガン情勢を見据えながら、私たちに何が出来るのか考える場にしたいとの思いから開催された。

11月27日(土)12:30〜14:00
      (第1部)山の学校の現地報告&今後の支援活動 長倉洋海スライドトーク
         14:30〜16:00
      (第2部)アフガニスタン情勢について 8月までカブール在で当会を支えて
           下さっていた安井浩美さんとネットでつなぎお話をいただいた。

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山の学校支援の会
http://www.h-nagakura.net/yamanogakko/
info_yamanogakko@yahoo.co.jp
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中高年の「元気が出るページ」12月号                         ①スイス鉄道車窓からの絶景、第3回再掲載(YouTube)                                      ②第4回 アフガニスタン現地報告会

スイス鉄道車窓からの絶景。第3回

夢のスイス名峰ツアー(ベルニナ線)モルテラッチ→ティラノ


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2時間で標高差1,828mを一気に下る。ベルニナ特急名物ループ橋は素晴らしい。
https://www.youtube.com/watch?v=FhjdDIOFgR0
どうぞご覧ください。
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中高年の「元気が出るページ」11月号                         ①スイス鉄道車窓からの絶景。第2回 再掲載(You Tube)              ②安曇野発193回北佐久郡立科(たてしな)町(上)                  ③戦禍の子供たち大石芳野写真展

戦禍の子供たち大石芳野写真展

市立吉祥寺美術館

10月16日〜11月28日

入館料一般300円

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 ベトナム、ラオス、カンボジア、アフガニスタンなどの子供たちの瞳の中を見つめていると、戦争を続ける為政者を憎む。太平洋戦争時学童疎開組だった我々が、大人になってもやめさせられずにいる戦争。人間の弱さを感ずる。
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中高年の「元気が出るページ」11月号                         ①スイス鉄道車窓からの絶景。第2回 再掲載(You Tube)              ②安曇野発193回北佐久郡立科(たてしな)町(上)

安曇野発 193回 気になる町々
  

北佐久郡立科(たてしな)町(上)


加藤 雅博


  
 あっという間の二か月でした。東京オリンピック、パラリンピックの大イベントがまずは終了、その間心配されたコロナの感染は縮小し、首都圏を中心に出されていた緊急事態宣言、飲食店の自粛営業も一気に解除。同時進行のように政局も急変して菅内閣から岸田内閣へと急展開、そして総選挙を迎えました。
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立科町の「くびれ」の形状
 
 そんな目まぐるしい最中、今回、「信州町歩き」として選んだ先は中信地区に位置する北佐久郡立科(たてしな)町。安曇野からは一般道で1時間30分足らずですが、峠を二つ越さなければならない地です。  昭和30年(1955)4月、 同郡の芦田村・横鳥村・三都和村が合併して立科村が発足しました。三村にとって象徴的な蓼科山(2530m)を村名にすることはすんなり決まりましたが、「蓼」の文字が当用漢字にないこと、書くのにも難しいこと、古くは「立科」とも記していたことから村名と表記が決まりました。同33年(1958)10月には町制を選択して立科町となりました。今年で63周年となりました。
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立科町役場と町章
 面積は長野県77市町村中56位、66.87km²と県全体のわずか0.5%占める程度の小さな町です。面積の狭さはともかく、町の特徴はその独特の形状です。町の位置図と添付図からおわかりのように東西9.9キロメートル、南北26.4キロメートルと極端に縦に細長く、ヒョウタンか砂時計のように北部と南部の間が極端にくびれています。そのくびれた部分の幅員はわずか53.3m。この地形によって、町は大きく北部と南部に分かれ、それぞれ特徴を持っています。そんな南北で様相も異なる立科町を二回に分けて紹介します。    北部は「里」エリア。旧中山道六十九次のうち、江戸から二十六番目の宿場「芦田」を中心に町役場や中央公民館などの行政機関、学校、道の駅、リンゴ園と農地など田園地帯が広がる地域です。
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広重の望月宿の図だが「笠取峠の松並木」が題材
 
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笠取峠
 
 安曇野方面から中山道に沿った町の入り口で迎えてくれるのが「笠取峠の松並木」。芦田宿の西方笠取峠の約2キロメートルにわたる並木です。慶長7年(1602)ごろ、公儀より赤松の苗753本が下げ渡され植え付けたとされています。幕末まで手入れ、補植などの管理が続けられ、現在残っている松は総本数68本。樹齢が150~300年以上で、「松並木公園」として整備されています。県宝になっています。
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芦田の宿の本陣
 
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芦田宿の家並
 
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芦田宿の街燈
 芦田宿は、慶長2年(1597)に設立していますが、幕府が交通政策に本格的に乗り出す4年も前で、北佐久では一番先に設立されたことになります。本陣は、宿設置とともに土屋右京左衛門の一族が明治維新まで代々勤めてきました。現在残っているのは寛政12年(1800)に建て替えられました。ちなみに土屋家の末裔の一人に、トリックの創意とリアリティーの融合を目ざした新本格派の推理作家、土屋隆夫がいます。生家と子孫が近くに住んでいます。
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茂田井間の宿の家並
 
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国指定の有形文化財の叶屋の家屋
 芦田宿から一つ江戸寄りの望月宿までの間に、正式な宿ではありませんが、「茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)」があります。宿場ではないものの、古くからの集落を形成しています。とくに二つの酒蔵がほぼ隣り合って存在、一方の酒蔵叶屋(武重本家酒造)の江戸後期の住宅と酒蔵施設30棟が国指定の有形文化財に登録され、江戸情緒を残す茂田井の街並みを見事に演出しています。
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若山牧水の歌碑
 旅と酒を愛した若山牧水も贔屓の地で、度々訪れたり滞在したりしています。「しらたまの歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」「ひとの世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにの楽しみ」など歌3首を治めた歌碑がさりげなく設置されているのも街の風情にぴったりです。間の宿は立科町と佐久市の一部にまたがっています。
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立科町「ふるさと交流館」
 中山道沿いの町役場の正門近くにあるのが「ふるさと交流館」。地域情報の発信と地域学習によって町民の交流、文化活動の拠点にしようと平成16年に(2004)開館。9年後に改修されて中山道の見学者たちの憩いの場や町への移住者のサポートセンター、最近ではテレワークセンターも併設されました。
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道の駅「女神の里たてしな」の案内板
 
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道の駅「女神の里たてしな」の案内板
 
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生産物直販所
 「間の宿」の街道のすぐ北側の国道254号線に面してある道の駅「女神の里たてしな(蓼科農ん喜村=のんきむら)」は地元農産物の直売所。立科リンゴ、特Aランクのコシヒカリ、特産の蓼科牛などに人気があり、県外からの訪問客が多かった道の駅。コロナでここ一年半は客足が減少していましたが、緊急事態解除で、トラベル熱の復活によって、街道、直販所も早晩活気が戻ってきそうです。
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大庭遺跡の案内板
 
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大庭史跡公園
 
「里エリア」には歴史遺産があちこちに点在し、それをたどるだけで町の大半を歩くことになりそうです。芦田の宿から県道40号線を南方白樺湖方面に向かったところにある大庭遺跡は縄文時代、古墳時代、奈良時代、平安時代わたる複合遺跡。平成元年(1989)の発掘調査で遺構が確認され、各時代の過渡期に形成された遺跡であることが確認されました。現在は貴重な遺跡保存のため、調査跡地は原形のまま覆土し史跡公園になっています。
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光徳寺の仏舎利殿
 
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ホウキグサの紅葉(立科の民家庭先)
 この40号線沿いには史跡、名所のポイントが多く、史跡公園のすぐ南方には芦田城跡と蓼科神社里宮、「光徳寺(こうとくじ)」が集合しています。このうち光徳寺は曹洞宗の寺院で、文明2年(1470)芦田城主の芦田右衛門太郎が父親追善のために建立した古刹。山門、鐘楼堂、仏舎利殿が見もの。
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蓼科神社の神代杉
 光徳寺に隣接する蓼科神社は、蓼科山を祀る里宮。同山頂に奥社があります。この神社入り口にある「神代杉」は一見の価値があります。樹齢1500年を数え、目通り10メートルほど。落雷などによる度重なる火災には勝てず、枝が焼かれて現在見られる姿になってしまいましたが、しっかり存在感があります。平成になって行われた長野県内の巨木調査で十指に入っていたようです。
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津金寺の山門
 
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県宝津金寺の「宝塔」
 芦田宿北方の丘陵地区には果樹園、農地が広がっていますが、居住地域として歴史があるため、文化財・史跡も豊富。その一番が名刹「津金寺(つがねじ)」でしょう。飛鳥時代の大宝2年(702年)に行基が聖観音を安置したのが始まりと伝えられていますから歴史は古く、建治2年(1276)には天台宗で最も古い談義所が開かれたといわれています。
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無量寺と六地蔵
 美しく整備された境内に県指定の史跡である「滋野氏宝塔」をはじめ、町指定文化財、観音堂、仁王像、妙見堂が配置され散策するのも快適な寺院です。  名刹ではもう一つ茂田井間の宿にある「来迎山無量寺(らいこうざんむりょうじ)」も是非立ち寄りたい寺院。延暦寺の末寺(まつじ)で、長保5年(1003)創立。入口と境内の真ん中、本堂横にある3本のシダレザクラはシーズンになると見物客が押し寄せ、六地蔵とともに絶好の撮影スポットになっています。
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山部学校跡地
 このほか、明治6年(1873)に三村が共同で発足させた山部学校跡地、外倉地区にある厄除観音堂、野方地区にある木曽義仲を祀った冠者社(かんじゃのやしろ)、牛鹿地区にある伝承に基づく曽我兄弟の物語に基づく遺構「虎御前 姿見の井(とらごぜん すがたみのい)」など、歴史好きの向きには堪えられない探訪スポットがたくさんあります。トラベル自粛も解禁となりました。立科町にお出かけください。
                              (次回に続く)

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中高年の「元気が出るページ」10月号                        ①スイス鉄道車窓からの絶景。再掲載(You Tube)                 ②シネマトーク237回【偉大なりウイリアム・ワイラー】

(((シネマトーク237回)))

 
【偉大なりウイリアム・ワイラー】


西島雄造

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西部の男

『西部の男=Westerner』(1940)を見た。同じゲーリー・クーパー主演だが、アンソニー・マン監督の『西部の人=Man of the West』(1968)と間違えやすい。鉄道の敷設が進んでいたころのアメリカ・テキサスを舞台に、牧畜業者と農民の土地争いをめぐる話。いつになくコミカルなタッチで笑わせる。農民と対立する側の、いささか怪しい男を、ウォルター・ブレナンが演じ、アカデミー助演男優賞を勝ち取っている。
 アンソニー・マン(1906ー1967)は舞台俳優から映画界に入った。最初は低予算のスリラーなどを撮っていたが、ジェームズ・スチュワート主演で『ウィンチェスター銃73』や『グレン・ミラー物語』などをヒットさせている。最晩年、冷戦下の英国とソ連の二重スパイを描いた『殺しのダンディー』を撮影中のロンドンで客死。主役のローレンス・ハーヴェィ(1928-73)が完成させている。ハーヴェィは『ロミオとジュリエット』や『年上の女』など多彩な作品に出演しているが、晩年は胃がんを患い、45歳で早逝した。
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ウイリアム・ワイラー監督

 ウイリアム・ワイラー監督(1902―81)は、旧ドイツでユダヤ系の両親のもとに生まれ、18歳のときに渡米し、ユニバーサルのスタジオで雑用係をしながら映画の道に踏み出した。才能を認められ、1925年には監督に昇進する。以来、短編やクレジットなしも含め、生涯に77本を撮った。
 太平洋戦争前後の作品には『孔雀夫人』『嵐ヶ丘』『月光の女』『偽りの花園』『女相続人』『黄昏』など文学作品、舞台劇をもとに、女性を描いたものが目につく。マーナ・ロイ、べティ・デイヴィス、グリア・ガースン、オリヴィア・デ・ハビランド、ジェニファー・ジョーンズら、のちの大女優たちが演技に輝きを見せている。しかし、はじめに注目された『デッドエンド』(1937)は、ニューヨークのスラム街を舞台に、ハンフリー・ボガートとジョエル・マックリー主演で、ギャングとストリート・チルドレンを絡めた暗黒街を描いた作品と言うのは意外に見える。
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我等が生涯の最良の年
 
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ベン・ハー

 『ミニヴァ―夫人』、社会派的な題材の『我等が生涯の最良の年』、『ベン・ハー』で3度、アカデミー作品、監督賞を獲得した。『我等が生涯の最良の年』(1946)は、アカデミー作品・監督賞など9部門に輝いた作品である。第二次世界大戦が終わり、戦地から同じ輸送機に乗り合わせた3人の帰還兵。同郷でもある。戦火の記憶に悩まされるアル・ステイーヴンソン(フレデリック・マーチ)、Bー17の爆撃手だったフレッド(ダナ・アンドリュース)、乗務していた空母が撃沈され、両手を失い義手で過ごすホーマー(ハロルド・ラッセル)。アルは銀行員の椅子に戻った。数々の武勲を上げ乍ら、かつて働いていたドラックストアで、しがない日々を送るフレッド。妻はナイトクラブに出ている。ホーマーは愛する婚約者がいながら、義手の引け目から素直になれない。
 3人三様の戦後が描かれる。出演者の話題も多彩だ。トーキー時代の主役第1号となったフレデリック・マーチ。その妻を演じるマーナ・ロイは無声映画時代からのスター。ダニー・ケイの相手役から脚線美スターで躍り出たヴァージニア・メイヨ。助演男優賞のハロルド・ラッセルは実際に両手が義手だ。「スターダスト」「わが心のジョージア」の名曲を残したホーギー・カーマイケルがバーでピアノを弾いている。
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ローマの休日

 一方でカーク・ダグラス主演の『探偵物語』、オードリー・ヘップバーンがアカデミー主演女優賞に輝き、スターダムに名乗りを上げた、初々しく美しい『ローマの休日』。ワイラー監督は、よほど彼女が気に入ったと見え、『おしゃれ泥棒』『噂の二人』と三度起用している。そして『大いなる西部』もある。サスペンスを堪能させる『必死の逃亡者』、若いアンソニー・パーキンスの演技が捨てがたい『友情ある説得』。こうしてみると、才能にあふれ、人間の洞察力に富み、ジャンルを問わない作品を手がけた稀有の映像作家と言えよう。見方によれば器用な監督でもあった。
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ノー・タイム・トゥ・ダイ

 007シリーズの25作目『ノー・タイム・トゥ・ダイ』は10月1日公開。現役から退いて、カリブ海でのんびり過ごしていたジェームズ・ボンドのもとに、誘拐された科学者の救出依頼が、旧友のCIAエージェントからもたらされる。目的は、黒幕は…。死と隣り合わせた危険なミッション、スペクタクルなカーチェイス、過激な撃ち合い、そしてラヴロマンス。
 これで5作目になるボンド役のダニエル・クレイグ。ようやく板についてきたMI6なのに、これが最後の007とか。監督のキャリー・ジョージ・フクナガは父親が日系三世。北海道で半年、外国語の教師をしていたこともあるという。フランス語とスペイン語にも堪能。163分の長尺。
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メインストリーム

 『メインストリーム』(10月8日公開)は、フランシス・フォード・コッポラの孫娘ジア・コッポラの第二作。リンク(アンドリュー・ガーフィールド)は、裕福な家庭に育ちながら、学校に放火して家を飛び出した。ロスアンジェルスの街頭で、あまり意味の分からない言葉をなげかけていた。ユー・チューバ―のフランク(マヤ・ホーク)は、何か心に響くと受け止め、映像にしてYouTubeに投稿する。現代の恐るべき言葉のSNS。フランクの投稿は次第にユーザーに受け止められ、やがて、プロデユーサーの目に留まり、メインストリームを歩くことになる。
 YouTubeは、どれだけのユーザーが“いいね”をしてくれるかが命。広告料金も手に入る。リンクはますます過激な発言をし始め、ついには女性の首つり自殺を招いてしまう。「スマホか尊厳か」。20世紀が発明した“怪物”スマホに対するアンチテーゼともいえる。ならば、映画館で見るより、スマホで見た方がいいか……。『ソーシャル・ネットワーク』や『ハクソーリッジ』にも出ているアンドリュー・ガーフィールドが熱演。フランキー役のマヤ・ホークはヴォーグ誌のモデル出身。
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光を追いかけて

 『光を追いかけて』(10月1日公開)は、秋田県の中央部、八郎潟に面した井川町を舞台に、成田洋一監督、出演の柳葉敏郎ら“オール秋田に支えられた作品。廃校を目前にした中学校。3年生の生徒たちは、閉校祭りの企画に熱心だ。中島彰(中川翼)は、東京から故郷の町役場にUターンした父親に連れられた転校生。ともすればいじめにあいがちだ。もう一人の岡本真希(長澤樹)は登校拒否。
 その町の上空にUFOらしき物体を見たとの119番。新聞にも大きく報じられる。これから始まる稲刈りの、たわわに実った稲田のなかには、直径3メートルほどのミステリー・サークルまで。真希はその中で仰向けになって空を見つめている。さてカウントダウンの閉校祭の目玉に、絵の上手な彰が生徒全員の似顔を描くことになり…。
 監督自身が秋田弁の方言指導をするほどの気の入れようだが、かえって聞き取りにくいところもある。生徒たちは普通のしゃべり方だ。その生徒たちが真希ら中学3年にしては、少し大人びている。これはファンタジーなのか青春物語なのか。監督はCMディレクター出身で映画は初監督。一流企業のCMを数多く手掛けており、稲田や國花苑の描写は美しいが、物語はいかにも頭で捏ね上げたように見える。
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神在月のこども

 『神在月のこども』(今泉力哉監督10月8日公開)は出雲神話に想を得たアニメ。10月の神無月には、八百万の神が出雲に集まる。少女カンナは、母親といつも駆けっこをしていた。その母親が他界し失意にあったが、ウサギのシロに導かれ、母がいるという出雲に会いに行くことになった。母は駆けっこの神様だという。
 同行するのは神様の使いのシロと鬼の少年。幾多の苦難を乗り越え、カンナは、祭りの夜までに出雲大社にたどり着くことが出来るだろうか。風景の描写が細かく美しい。もう少し雲の流れや風にそよぐ草木に、動きがあったらと思わせる。子供は教えられることもあるだろう。
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中高年の「元気が出るページ」10月号                        ①スイス鉄道車窓からの絶景。再掲載(You Tube)                 ②シネマトーク237回【偉大なりウイリアム・ワイラー】

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<スイス鉄道車窓からの絶景>再掲載(You Tube)


 これは9年前スイス名峰ツアーに参加して撮影しYou Tubeに投稿したものですが、ブログの読者の方はご覧いただいていない方も多いと思うので、再度掲載いたします。
1回目はサンモリッツからクールまでを5回に分けて掲載します。
1、夢のスイス名峰ツアー1、https://www.youtube.com/watch?v=LVsDsJuZ8u0
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中高年の「元気が出るページ」9月号                         ①第60回(最終回) 9月 長崎ハトシ                        ②安曇野発 192回 番外 2021年安曇野春~夏                  ③シネマトーク236回【華麗なジャン・コクトーの映像美】

(((シネマトーク236回)))

 
【華麗なジャン・コクトーの映像美】


西島雄造



 南フランス・コートダジュールのヴィルフランシュは、地中海を一望する港である。この美しい景色を、ジャン・コクトーも、こよなく愛した。曲がりくねった坂を東へ登りつめるとモンテカルロ。さらに東のイタリアとの国境に近いマントンに、ジャン・コクトー美術館がある。晩年をたびたび過ごした街に、2011年に建設された。
 パリの左岸、オデオンにあるLa Maditerranee=その名の通り地中海料理が中心のレストランだ。ここにもコクトーは足しげく通ったという。メニューをコクトーが書いている。1950年前後、間近のサンジェルマン大通りに、サルトル(1905―1980)をはじめ作家、知識人たちがたむろした。コクトーもその一人。カフェ・ドゥ・マゴやカフェ・フロ―ルがたまり場になっていた。若かった歌手のジュリエット・グレコ(1927―2020)は、当時のレコードを聴くと挑むように歌い、<サンジェルマンの女神>と称されていた。
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美女と野獣
 
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オルフェ
 
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詩人の血

 ジャン・コクトー(1889―1963)。その作品にはじめて触れたのは『美女と野獣』(1946)だった。まだ中学生だったが、詩的な美しさに衝撃を受けた。のちに知ることだが、クレジットにはないが、ルネ・クレマンの名が刻まれていたことだ。これは映画史上の重要な事実である。高校生になり『オルフェ』(1950)を見る。コクトーの名に心酔した。大学に入り、同人誌に「ジャン・コクトー研究」を書いた。いま思えば身の程知らずのことだ。
 詩人にして小説家、幾多の評論を書き舞台演出も手がけた。最初の監督作品は『詩人の血』(1930)51分の映像だが、のちのジャン・コクトーが凝縮されている。鏡がはじけ水しぶきが上がると鏡の向こうに立っている。Hotelだ。それぞれの部屋を鍵穴からのぞくのだが、壁に沿って伝い歩きするのも『オルフェ』の原景。椅子のカウチから手や足がのぞく。『美女と野獣』では、壁から伸びている腕が燭台になって、明かりをともす。雪合戦の場面もある。
 コクトーは1936年、世界一周の旅の途中に来日している。大相撲や歌舞伎を楽しんだ。六代目(尾上菊五郎)の「鏡獅子」を見た。この時の印象が『美女と野獣』のイメージに同化したともいわれるが、「愛らしくて不思議な動物」と、しばしば猫に言及した詩人だけに、猫の印象と通い合うものがある。ジャン・マレーが扮した野獣の哀しみに満ちた表情が美しかった。
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恐るべき子供たち

 『恐るべき子供たち』(1950)が、9月中旬から東京などで上映される。コクトーが阿片中毒から逃れるため入院療養中に書きあげた脚本を、ジャン=ピエール・メルヴィルが監督した。1976年以来45年ぶりの再映である。主演ジャン・マレー。撮影は他のスタッフとともにヌーヴェル・バーグの先頭に立ち、『大人は判ってくれない』『死刑台のエレベーター』『太陽がいっぱい』などで、見事な映像空間をもたらしたアンリ・ドカエ。まだ独立前のクリスチャン・デイオールが衣装を手がけている。
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禁じられた遊び
 
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太陽がいっぱい

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パリは燃えているか

 ルネ・クレマン(1913ー1996)にも触れておこう。82歳で他界しているが、製作本数は少ない。『鉄路の闘い』(1945)は第1回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し『禁じられた遊び』(1951)はアカデミー外国語映画賞、ヴェネチア国際映画祭・金獅子賞に輝いている。その後も『鉄格子の彼方』(49)『居酒屋』(56)『太陽がいっぱい』(64)、そしてパラマウントの作品で、ナチス・ドイツに対するレジスタンスからパリ解放を、オールスターキャストで、オペラ座、コンコルド広場、凱旋門など、約180か所に及ぶロケを敢行した『パリは燃えているか』(66)など、話題作も多い、いわば職人芸の監督だった。
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くじらびと

 島国のインドネシア。バリ島につながる小島レンバタ島の南の海岸では400年続く手投げ銛漁によるマッコウクジラ捕りが行われている。島の住民は2000人に満たない。船大工、船の帆編み、銛作り、銛綱…全てを伝承された方法でこしらえあげる。そして獲物を目がけて船出。
 10人足らずの漕ぎ手と帆に受ける風で沖に出る。主役はラマファと呼ばれる銛うち。クジラが集まる潮目が見えたときこそチャンスだ。船の舳先に立ちはだかり、銛をかざして、クジラを目がけ海中に飛び込む。そのタイミングが難しい。間違えるとクジラにたたきつけられ、命を落としかねない。それはマンタ漁さえ同じだ。ベンジャミンはマンタに引き込まれて死んだ。先祖代々の心得がある。
 浜にあげられたクジラの解体も大仕事だ。切り立った肉は公平に分けられる。脳油は灯りとなる。クジラで命をつないでいる村人。捕れたクジラの肉をトウモロコシやバナナなどと交換する。だから年に10頭は捕れないと生きてゆけない。クジラよ浜辺にきたまえ。祈りをささげる。まるで聖なる儀式だ。多くの人はキリストを信じている。
 こうした村人の営みを精緻にとらえた映画『くじらびと』は9月3日に公開される。石川梵監督は1960年、大分生まれ。AFP通信を経て独立。ネパール大地震では、ヒマラヤの奥深い村、壊滅したラプラック村に入って撮影した「世界でいちばんうつくしい村」を撮っている。今作も3人がかりの撮影で、ときに空撮もまじえ、美しい海とクジラ捕りの状景を、余すところなくとらえたドキュメンタリーの秀作になった。
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偽りの隣人 ある諜報員の告白

 1985年、次期大統領選に、野党から出馬すると見られていたイ・ウィシク(オ・ダルス)が、空港に到着するなり、国家安全政策部の男に逮捕されるところから始まる『偽りの隣人 ある諜報員の告白』(イ・ファンギョン監督9月17日公開)。3日後に予定されていた出馬会見を阻止するためで、その足で自宅に軟禁される。
 一方、諜報機関のユ・デグォン(チョン・ウ)ら3人が隣家を拠点にして、ウィシクの一挙手一投足、電話のやり取りまでを監視・盗聴する。これが前半だが、それが演出か俳優自身の演技かコメデイではと思わせる。そして後半。たまたま庭に出ていたウィシクとデグォンが塀越しに出くわし、世間話をすることになる。このことをきっかけに、デグォンはウィシクの人柄にふれ、自分の行為や思想に疑問を持ち始める。
 これはフィクションであると断り書きされているが、1973年の夏、民主活動家の金大中(のち第15代大統領)が、滞在していた東京・千代田区のホテルグランドパレスの部屋から拉致・誘拐された事件を思い出さずにはおれない。最後の場面、ウィシクとデグォンが交わす得も言われぬ微笑に、映画の本質を知らされる。題名はひねり過ぎではなかろうか。原題通り『最良の友 ある諜報員の告白』の方が味わい深い。
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先生、私の隣に座っていただけませんか?

 『先生、私の隣に座っていただけませんか?』(堀江貴大監督9月10日公開)は、漫画を描いている佐和子(黒木華)と俊夫(柄本佑)の夫婦が織りなす物語。俊夫は編集者の女性と不倫している。佐和子は薄々感じている様子。母親(風吹ジュン)が足を傷めたため、しばらく田舎の実家に帰ってきた。佐和子は一念発起して自動車教習所に通い始める。そこで出会った若い教官は優しい。はじめはアクセルを踏むことさえできなかったのに、運転する楽しさを見つけた。それは若い教官のおかげ?
 だが俊夫は関係に疑念を持ち始め、二人の車を追走する。まるでストーカ―。表情まで狂気じみている。また佐和子は若い教官を誘うような素振りを見せ、遠出して口づけまで交わす。そこへ今度は編集者が何食わぬ顔で現れて…。演技が上手い二人が、いつになくやり過ぎ鼻白むところさえある。まあ漫画と思えば、勝手にやればいい。

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中高年の「元気が出るページ」9月号                         ①第60回(最終回) 9月 長崎ハトシ                        ②安曇野発 192回 番外 2021年安曇野春~夏                  ③シネマトーク236回【華麗なジャン・コクトーの映像美】

安曇野発 192回 番外

2021年安曇野春~夏


加藤 雅博

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2021年新年の北アルプス。鹿島槍ヶ岳と五竜岳

 今回は筆者の都合で「安曇野発気になる町々」を休載させていただき、番外編として安曇野の春から夏を画像中心にレポートしようと思います。
 コロナ禍2年目の安曇野は、いずこの行楽地も意気が上がらない、消化不良の状態のまま新年を迎えました。安曇野一番の人気スポット、日本で最大のワサビ園、安曇野市穂高の「大王わさび農場」は、首都圏で緊急事態宣言が出たり、解除されたりするたびに閉鎖し、緩和しと眼目まぐるしく対応に追われました。
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安曇野の一番の観光スポット 大王わさび園
 
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大王わさび園
 
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アルプスの山脈。景観を楽しみ憩うご夫婦
 
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コブシの花

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枝垂れ桜

 それでもワサビ園の梅は時期が来ると枝いっぱいに花を咲かせて芳香を放ち、サクラをはじめ、コブシ、スノードロップ、その他の花々も律儀に季節を知らせてくれるのに愛おしさを感じずにはいられません。筆者の住まいのある池田町は、各種のサクラが豊富ですが、中でも自慢は、ヤマザクラ群。「西に吉野、東に陸郷、眼福のヤマザクラ」といわれる「陸郷(りくごう)」地区に自生するヤマザクラです。ビューポイントはヤマザクラ群の向かいにある「桜仙峡(おうせんきょう)」と呼ばれる谷合の地。
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ウコンザクラとアルプス
 
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ナノハナと有明山
 
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赤ソバの花と有明山
 
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池田の田植風景
 
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池田の田植風景

 数千本とも一万本あるともいわれ、仙峡は眼下にヤマザクラ、眼前はるか向こうにアルプスが一望できる絶好のスポットです。人為でなく野鳥たちがサクラの実をついばみ増やした、自生の樹木というところがミソです。今年も見事に全山を飾ってくれました。ただし、やはり観光客は激減で、この見事さを多くの人に見せられなかったことは残念というほかありませんでした。
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スノードロップの花
 
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池田町陸郷のヤマザクラ
 
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池田町陸郷のヤマザクラ
 
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庭先の餌場のメジロとシジュウカラ
 
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餌場のメジロの家族

 こうした植物だけでなく、実は野鳥たちの到来からもたくさんの季節感をもらいました。今年庭先にセットした餌場を通して気付いたのは、メジロの飛来の多さです。以前からメジロを写真に収めたいと願いながら実現できずにいました。ところが今年は餌場に置いたリンゴを狙って数多くのメジロがやってきたのです。我が家だけの偶然のできごとかなと思っていたところ、やはり野鳥好きの友人からも、今シーズンはメジロが目立つという話を聞きましたから、個体数が増えているのか、野鳥の世界で何かの変化が生じているかも知れません。それにしても、あの目の周りの白い、愛嬌ある姿には癒しを感じます。
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田んぼの落ち穂をついばむコハクチョウ

 毎年シベリアから安曇野にやってくるコハクチョウは今シーズンも営巣地である犀川の白鳥湖を中心に1000余羽飛来し、3月ごろから一斉に北帰行にと旅立ちました。来シーズンまで半年間のお別れになりますが、実は不安材料が一つ。8月西日本を襲った線状降水帯の影響は長野県の中南部にまで及び、高瀬川・梓川が合流する犀川が溢水寸前まで増水。安曇野市明科地区の住民に避難指示が出るほどの被害となりました。
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犀川・白鳥湖を舞うコハクチョウ

 この増水で、犀川に二カ所あるコハクチョウの営巣地はノリ面や通路などが削られてしまいました。特に犀川白鳥湖の被害は甚大で、観察小屋を河川敷に入れることができない状態となりコハクチョウが初飛来以降ここ37年間で最大のピンチです。初冬の飛来期までに営巣地をどこまで修復できるか、愛鳥家たちは気を揉んでいます。
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鹿島槍の雪形。青い楕円は鶴、赤い楕円は獅子

 春先から夏にかけて、安曇野での楽しみはもうひとつ、雪形(ゆきがた)探しです。雪形は、山肌の残雪やそこから覗く岩肌などの形を、人物や動物などの形に見なして名前を付けたものですが、冬の降雪で周囲が雪山に囲まれる安曇野では、数多くの雪形が出現し、かつてはその形の出現が農作業の時期の目安を知らせてくれる、暦の役割を果たしていました。雪形には[ネガ型]と[ポジ型]があり、[ネガ型]は雪解けとともに現れる黒い岩肌の形で作られる雪形、[ポジ型]は残雪の白い形で作られる雪形です。
 春先、安曇野から真先に目につくのが鹿島槍ヶ岳の獅子と鶴です。駆け下ろうとする獅子(ライオン)と今にも飛び立とうとするやせっぽちの鶴に見立てた[ネガ型]の雪形です。鹿島槍ヶ岳は大糸線沿いに爺が岳から白馬連峰に連なる後立山連峰の主峰でどっしりした存在感のある山です。4~5月ごろにはどなたにも探せる雪形です。
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白馬乗鞍岳の雪形、尾長鶏
 
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池田町の鯉幟飾りと遠方の尾長鶏の雪形

 実は、筆者が最も推薦したい雪形が池田町から遥か北方に探索できる「尾長鶏」です。白馬三山のちょっと北の白馬乗鞍岳に現れる[ポジ型]の雪形です。鶏と云っても実は足は数本(4本ほど)で鶏というより獣のようですが、全体像はやはり鶏の姿のため「尾長鶏」と命名されています。鶏の姿が現れ始める時期はまだ太り気味ですが、7月を迎えるころにはスマートになります。今年の6月初め、高瀬川の河川敷に月遅れのコイノボリ多数を飾ったはるか彼方に尾長鶏の雪形を眺めることができました。数ある雪形の中で尾長鶏は出色の代物だと思います。
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安曇野市スイス村の夏空

 春から夏へ、一向にコロナが治まる様相もなく盛夏を迎えた安曇野も夏祭りをはじめ、ほとんどのイベントが中止となり寂しい夏を迎えます。夏休みが早めに始まったとはいえ、県外からの観光客は少なく、避暑のための来県者も昨年までの実績に比べて圧倒的な少なさでした。中止されたイベントの中で、安曇野市「スイス村」の脇の田んぼで開かれた2年ぶりの「田んぼアート」は、一人気を吐いた催しだったと云えるかも知れません。
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御嶽海の田んぼアート
 
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御嶽海の田んぼアート


 田んぼアートは、水田をキャンバスに見立て、色の異なる稲を使って巨大な絵や文字を描き出す近年はやりの“芸術”作品。今回のテーマは信州出身の大相撲の関脇力士「御嶽海」。緑や紫、黄色などに育つ七色の古代米を使い、波頭を背景にした立ち合いの姿を描いています。
 雷電爲右エ門(1767―1825)以来の郷土出身の大関昇進を期待され、これまで2回優勝という実績はあるのに、ここ数年は足踏み状態。アートの勇士のように頑張ってもらいたいところです。至近にあってお手軽に見学できることもあり、観光のついでに立ち寄る見学者たちが後を絶ちませんでした。
 さて、様々に批判を浴びながら、東京オリンピック・パラリンピックが開催され、コロナの感染も拡大の一途です。緊急事態措置が首都圏はじめ、21都道県、蔓延防止措置が12県にまで広がりました。長野県はいまのところ両措置から免れていますが、松本市、安曇野市など周囲の市部でジワジワと拡大の気配を見せていて何とも不気味です。
 来春までのコロナ終息を祈るしか方策はないのでしょうか。
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中高年の「元気が出るページ」9月号                         ①第60回(最終回) 9月 長崎ハトシ                        ②安曇野発 192回 番外 2021年安曇野春~夏                  ③シネマトーク236回【華麗なジャン・コクトーの映像美】

うにのおうちごはん歳時記

おうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。

写真と文:山田うに



編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。



        
第60回(最終回) 9月 長崎ハトシ

 港と坂とエキゾチシズム…長崎は今日に繋がる日本文化を生み出した原点となるような街です。天文12年(1543)種子島にポルトガル人が漂着して以来、ポルトガルと日本との交流が始まります。そしてポルトガル船のパイロットが長崎が良港であることを発見し、それを受けて元亀元年(1570)九州の大名大村純忠(おおむらすみただ)が長崎を開港しました。時代が江戸に変わり鎖国政策が取られるなか、長崎出島は国内唯一の貿易地としてオランダ、中国の文物を受け入れました。

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 寛永13年(1636)ポルトガル商人を置くために造成した長崎の出島。明治初年に水路が埋め立てられその機能を終えましたが、復元計画に基づき当時の姿を再現、現在国指定の史跡となりました(見学有料
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 長崎山手にあるグラバー園。その一角に名称の元になったグラバー邸(世界文化遺産)が立っています。グラバーは幕末に来日した英国商人で、その邸宅は文久3年(1863)に日本人大工の手で建てられました

 江戸時代の元禄2年(1689)に唐人屋敷が設立されるまで、唐人たちは長崎市中に自由に住まいしていました。唐人たちは自宅に長崎の住人を招いて食事を饗応したといます。1つのテーブルを囲んで、大皿に盛った料理を各自が取り分けていただく食事法。銘々が個別の箱膳を使う食風習をもつ日本人にとって、それは斬新だったに違いありません。そして料理はやがて和(和食)・華(中華)・蘭(洋食)が融合した“わからん”料理に発展していきます。新鮮な魚介類と南蛮人が食べていた豚肉や牛肉をも取り入れ、円卓を囲む長崎独自の料理文化に育ちます。卓袱料理です。ちなみに“卓袱”の“卓”はテーブル、“袱”はテーブルクロスを意味します。ちゃんぽん、皿うどん、トルコライス、有平糖、カステラなど長崎起源の料理は枚挙にいとまがありません。
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グラバー園内に立つ「西洋料理発祥の碑」。全日本司厨士協会が建てた碑で、鎖国時代、長崎のオランダ屋敷から西洋料理がもたらされたと紹介しています

 これらと並んで長崎の人になじみ深い食べ物が“ハトシ”です。さてハトシとは!? カタカナでは想像も付きませんが中国語で表わすと“蝦吐司”と書きます。中国料理の名称は字面から調理法が分るものが多いのですが、ハトシもよい例です。
蝦吐司の“蝦”はエビ、“吐司”はトースト。エビのすり身を食パンなどに挟み油で揚げた料理、それがハトシなのです。長崎市の「ながさきの食推進室」の資料によれば、ハトシが中国から長崎に伝わったのは明治時代のことといわれます。卓袱料理の一つとして最初は料亭で提供されていたといいますが、やがて一般家庭に広まっていきます。これは食パンという食材が庶民に普及していくことと重なります。
 ハトシは現在市内の食品店などで販売されています。揚げた完成品や自宅で揚げるレトルトもあります。また長崎ランタンフェスティバルや長崎帆船まつりなどのイベントに屋台で登場します。長崎市民にとっては大変身近な食べ物なのです。ハトシの中身はエビのすり身が基本ですが、現在では魚肉のすり身や挽肉を使うものがあり、また包み方も食パンに巻いたり挟んだりするスタイルもあり進化しています。
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長崎を歩けばこんな形でハトシが販売されています


 このハトシ、プロはどのように作っているのでしょうか。日本料理のほか卓袱料理も手がける長崎市内の和食処「草花洛(そうからく)」に、平成24年(2012)に取材に伺っています。その資料から作り方を紹介します。

 「私の店では魚のすり身とエビのすり身を合せて使います」と料理長。それをすり鉢でよくすり混ぜ、塩・醤油・砂糖・酒で調味します。そして“玉素(たまもと)”を加えます。玉素とは和食の基本素材ともいえるもので、卵黄にサラダオイルを加えてホイッパーで撹拌したもの。いわば酢のない和風のマヨネーズ。料理にコクが出ます。「玉素を加えるのが日本料理のワザかなぁ」。和・華・蘭の和の技が加えられ、卓袱の流儀が生かされています。食パンはサンドイッチ用の薄いパンを使用。耳は使いません。1枚を半裁にしたパンにハトシの種をのせ包みます。そして種に火を通すため蒸し器で10分ほど蒸します。こうすることで食パンをかりっと色よく揚げることに専念できます。「この蒸す工程がハトシ作りのコツですね」と料理長。
 ハトシは絢爛たる卓袱料理の中で、一般家庭で愛される長崎人のソウルフードでした。 
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食パンの上にハトシの種を置き、くるんと巻いて種を包みます

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蒸した材料を中温の油で揚げます。パンがきつね色に揚がればOK

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和食処草花洛のハトシ。薬味は粒マスタード。揚げたてはもちろんですが冷めてもおいしい

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我が家のハトシ。エビのすり身にはんぺんと溶き玉子を加え、塩・醤油・酒・砂糖で味をします。こんがりとパンを揚げるのは難しく何度か経験が必要です。辛子マヨネーズを添えました
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