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中高年の「元気が出るページ」1月号                        ①うにのおうちごはん歳時記第40回 海老                      ②安曇野発183回  気になる町々 坂城町(さかきまち)               ③216回シネマトーク【あの夏の日、寅がやって来た】

((216シネマトーク)))

【あの夏の日、寅がやって来た】


西島 雄造


 
 時代は平成を終えて令和になった。遠くなった昭和だが、とりわけ44年、1969年は色んなことがあった。なかでも記憶に残るのが7月20日、人類が初めて地球に《偉大な一歩》を印したことである。そのアメリカはベトナム戦争に行き詰まり、反戦運動が盛んになる。ニューヨーク郊外のウッドストックでは8月半ば、愛と平和を旗印に3日間にわたる音楽コンサートが開かれ、40万人が集まった。記録映画にもなり、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞に選ばれている。
 わが国では正月早々、東大安田講堂での攻防があった。暮れに実施された衆議院総選挙では自民党が圧勝。丸善石油のCM“oh!モーレツ”が流行する一方、富士ゼロックスのカラー複写機が発売され、翌年“モーレツからビューティフル”のCMも広告史に刻まれた。英国発のミニスカートが日本をも席巻。マーガレット王女がミニ姿で羽田空港のタラップを降り立った。一方、外国旅行の際の外貨持ち出し額が500ドルから700ドルになり、海外旅行ブームに火をつける。街に現金自動支払機が設けられたこともニュースになった。
 この年は冷夏を思わせた。3月12日に首都圏が大雪に見舞われたのは、予兆だったのかも知れない。8月27日の東京の最高気温は晴れ、29.6度。だが、この日に封切られた松竹映画『男はつらいよ』の上映館は、観客の熱気でむんむんしていた。森川信と三崎千恵子、渥美清、倍賞千恵子、前田吟、笠智衆らが顔を並べた。興行成績は年間のベスト10入りこそならなかったが、1億1000万円を稼ぎ出す。松竹は第一作のヒットから、11月には早くも第二作。そして翌年には1月15日封切りと堂々の正月興行。
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「男はつらいよ お帰り寅さん」
 
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「男はつらいよ お帰り寅さん」

 昨年の暮れに封切られたばかりの、記念の第50作は『男はつらいよ50 お帰り 寅さん』。監督は言うまでもなく88歳になる山田洋次。主役は吉岡秀隆演じる満男。サラリーマンを辞めて小説家に転身。妻に他界され娘のユリ(桜田ひより)と暮らしている。満男の回想から、50年の名場面が次々に映し出され、寅さん=渥美清がよみがえる。
 小説を出版してサイン会に臨んだ満男が、外国で活躍し仕事で一時帰国していた泉(後藤久美子)と偶然に再会する。後半は泉が病床に伏している父親(橋爪功)を見舞い、別れた母親(夏木マリ)も登場。締めくくりへ向かう。倍賞、前田吟、神田で喫茶店を営むリリー(浅丘ルリ子)….懐かしい顔ぶれと共に、オールドファンは郷愁にひたることになる、車寅次郎五十年の一代記。おしまいは、これまでに登場した光本幸子以下40人のマドンナたちが顔をそろえるサービスもある。40歳代半ばになった後藤久美子が、いい女になった。これからも日本で映画に出てほしくなる。出版社の担当に池脇千鶴。御前様には笹野高史。「させて頂く」などと今風の日本語を使う。67歳の夏木マリが若々しく美しい。渥美清には洋画の試写室でときおり出くわした。大きなマスクをしていても、それとわかる個性は強烈だった。満男の部屋の壁に架かるカレンダーが、令和元年ではなく平成最後のものというのは、何か意味があるのだろうか。
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「フォードvsフェラーリ」
 
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T型フォード.

 なんとも直截的な題名の『フォードvsフェラーリ』(ジェームズ・マンゴールド監督)だが、実話に基づいた物語である。オートメーション方式で自動車の大量生産に先鞭をきったフォードは、T型フォードを中心に、20世紀の車の時代をリードした。しかしスポーツカーが出現し、若者の自動車に対する志向も変わり始める。危機感を抱いたフォードは、スポーツカー戦略をたて、カーレースへの出場を企てる。手はじめにフェラーリの買収にかかるが、土壇場でフィアットに敗れる。
 そこで登場するのが、マット・デイモンが扮するキャロル・シェルビー(1923-2012)。第二次世界大戦ではテストパイロットとなり、爆撃機B-29の操縦桿も握った。戦後はカーレーサーに転身。1959年にはアストン・マーチンに乗ってル・マン24時間レースで、アメリカ人として初めて優勝している。しかし心臓に欠陥があり、レースを続ければ命にかかわると宣告され、引退してシェルビー・アメリカンを起こしカーデザインに転じた。フォードはこの男に白羽の矢をたて、レースに優勝できる車作りをスタートさせた。
 もう一人の人物が・マイルズ(1918-1966)。第二次大戦では英国軍の戦車隊で、1944年のノルマンディー上陸作戦にも加わっており、シェルビー・アメリカンのテストレーサーをする腕っこき。紆余曲折はあるものの、最後は1966年のル・マン24時間レースで、フォードのGT MKⅡが1位から3位までを独占する。ケンに寄り添う息子のピーターが微笑ましいが、蛇足ながらケンは息子の目前で衝突、炎上する事故のため即死した。
 フォード社の社長からクライスラーの会長も務め、「アイアコッカーわが闘魂の経営」の名著も残したリー・アイアコッカ(1924-2019)も重要な役で登場する。何よりも作中のレース場面に迫力がある。モーターレースのファンならずとも、興奮を抑えきれないだろう。
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「アイリッシュマン」

 遅ればせながら『アイリッシュマン』をNetflixで観た。209分の超大作ながら、脚本、演出ともによく、飽きることなかった。ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシの主役ばかりか、次々に顔を出す脇役陣に圧倒され、かつ羨ましく思った。昨年の10月号で一部を紹介したが、アメリカの恥部ともいえる暗黒街が絡んだ実話。脚本を書いたのはスティーブン・ザイリアン。『オール・ザ・キングスメン』『アメリカン・ギャングスター』『ギャング・オブ・ニューヨーク』などの監督や脚本を手がけている。
 話はロバート・デ・ニーロが演じるFrank“Irishman”Sheeran(1920-2003)の一代記。21歳の時に従軍して、イタリア戦線などで戦った。第二次世界大戦が終わって除隊。トラックの運転手として仕事ぶりを発揮するうちに、マフィアとつながっているラッセル・バッファリーノ(ジョー・ペシ)に見いだされ、“殺し屋”稼業に手を染める。もう一人のカギになる人物がアル・パチーノ扮するジミー・ホッファ(1913-1975)。全米トラック運転組合委員長で、ホームスターとも呼ばれる組合員150万人の全米最大の労組。ジミーの野心は飽くことなく、組織をどんどん広げる。おりしもジョン・F・ケネディがアメリカ大統領になると、ロバート・ケネディが司法長官に就く。
 ジミーは1975年7月30日、デトロイトのレストランから失踪し、82年に謎を秘めたまま死亡が宣告された。映画はこの謎にとどめを刺す。フランクは1983年にガンで死亡。83歳だった。デ・ニーロの若い時から晩年までのメーキャップと演技は見事である。自ら映画のプロデユースにもかかわっている。予想にこたえて、アカデミー賞レースに並ぶだろうか…。
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「ラストレター」

 仙台の高校に通っていた未咲と裕里の姉妹。美しい姉は学校のマドンナにされていた。その姉が自殺して葬儀が行われた20年後から、岩井俊二監督の新作『ラストレター』は始まる。葬儀が終わった裕里(松たか子)は、亡き姉に届いていた同窓会開催の通知を見て、少し衝動的に出席することにした。
 当日の会場。集まっていた同窓生たちは、未咲その人と思い込み、あいさつを求める。本当のことを言い出せないまま壇上に立ってしまった裕里。参会者の中に、学生時代に美咲にほのかな思いを寄せた鏡史郎(福山雅治)がいた。いまは駆け出しの小説家になっている鏡は、連絡先の交換を求め、やがて手紙のやり取りが始まって…。小樽を舞台にした長編映画処女作『Love Letter』(1995)と同工異曲の発想である。岩井の意図はどこにあるのか。ある種25年にわたる足跡の決算なのだろうか。
 さらに映画は美咲と裕里の、それぞれの娘が絡む。また美咲が一緒になった阿藤(豊川悦司)の家庭内暴力から決別したことが語られる。鏡は手紙をきっかけに娘たちとも会うことになり、阿藤も登場する。出演する俳優は豊川、中山美穂、鈴木慶一、庵野秀明と、なにやら“岩井組”総動員の趣である。福山の演技にまた深みが増した。松は難しい役をさらっとこなしている。二役の広瀬すずには天性のものがある。森七菜も美しい。それぞれの俳優に演技を割り振った結果か、121分は長い印象だが、単純な話が少なくない昨今の邦画の中で、素朴なほど人の心を紡ぎ、手作りの細やかな演出に好感がもてる。
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「盗まれたカラヴァッジョ」
 
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カラヴァッジョ作「キリスト降誕」

 『盗まれたカラヴァッジョ』(ロベルト・アンドー監督)のモチーフは、<キリスト降誕>と題した一幅の絵。1609年、イタリア、シチリア・パレルモのサンロレンツォ礼拝堂から忽然と消えた。描いたのはカラヴァッジョ=Caravaggio(1571-1610)。カンヴァスの主題は精緻なタッチの人物像で宗教画も多く、バロック期に光り輝いている。ミラノに生まれナポリ、マルタなどを遍歴、パレルモにも滞在している。1986年にはデレク・ジャーマン監督の映画『カラヴァッジオ』があり、2016年には国立西洋美術館などで展覧会が開かれている。
 映画は著名な監督が、この盗まれた絵を題材に映画を撮ることから始まる。その脚本を手がけるのはアレッサンドロ(アレッサンドロ・ガスマン)だが、実は映画プロデユーサーの秘書のヴァレリア(ミカエラ・ラマッツォッティ)が密かに書いていた。そのヴァレリアに謎めいた男が近づき、表に出たことのない事実を教えた。マフィアが絡んでいたという細部に、マフィアをはじめ作者探しが始まる。原題『UNA STORIA SENZA NOME=著者不明の物語』という訳である。終わりにどんでん返しも用意され、カラヴァッジョという画家の存在も知ることになる。
 米ニューヨークタイムズ紙が「同性愛者から原因不明のがんが発見された」と報じたのは1981年7月3日。この報道をきっかけにニューヨークのロングアイランドにあるゲイビーチに混乱が起き…と始まる映画、ノーマン・ルネ監督『ロングタイム・コンパニオン』が封切られたのは1990年。それよりはるか前、同性愛の男たちの孤独や受ける差別を描いた秀作はウイリアム・フリードキン監督『真夜中のパーテイー』(1970)。ニューヨークで『ミス・サイゴン』が初日を迎えた1991年4月11日、ブロードウェイ劇場の前は人種・性差別に反対するデモで混乱するのを目の当たりにした。
 いまではLGBT=レズビアン・ゲイ・両性愛・性同一性=に対する差別への異議が広く唱えられている。自分の性についてカミングアウト(公に)することも珍しくなくなった。
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「his」

 『his』(今泉力哉監督)もまた、男同士の愛と人の絆を描いている。高校生のころ同級生と心を通わせていた迅(宮沢氷魚)は、人里離れた岐阜県白川村で畑を耕して暮らしていた。突然かつての“恋人”渚(藤原季節)が、6歳の娘を連れて現れ、妻の玲奈(松本若菜)と離婚調停中だと打ち明ける。迅は混乱しながらも情熱に火が付く…。描き方に、さほど新味はない。127分は何とも長い。調停の場面など、もっと簡略にできなかったか。宮沢氷魚は将来性が期待される。
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「廓文章 吉田屋」

 『廓文章 吉田屋』は松竹シネマ歌舞伎。近松門左衛門作の人形浄瑠璃「夕霧阿波鳴門」から「吉田屋の段」が初演されたのは1808年(文化五年)。繰り返し上演されてきた《和事》の極みである。近代では十三代片岡仁左衛門の当たり役として継がれ、世話物にも長けた十七代中村勘三郎と七代尾上梅幸、片岡孝夫と坂東玉三郎らが藤屋伊左衛門と大阪新町の扇屋夕霧を演じ、舞台を華やがせてきた。
 舞台は師走。吉田屋の店前に伊左衛門が登場する。老舗の若旦那だが遊びが過ぎて親の勘気にふれ落ちぶれた姿。夕霧が宛てた文をつぎはぎした<紙衣>をまとっている。下働きたちは疎んじるが、吉田屋の主人喜左衛門(片岡我當)と女房(秀太郎)は世情に長け、仁左衛門を座敷にあげる。ここからは仁左衛門の独り舞台。
 ふててみたり、すねて見たり、また“いけず”をしたり。稚技にも似た振る舞いに可愛らしさがふくらむ。じゃらじゃらとした歩き方や表情は、まさに上方の風情。笠を外した瞬間に見せる色気も十分。声またよし。当代一の色男ぶりは松嶋屋の手の内。後段、夕霧が現れ、ひたすら華麗に《口説き》の場面になる。落ちは珍しく目出度し。芝居が始まる前に、仁左衛門と玉三郎が、昔ばなしから役への意気込みまでを語る。ファンは聞き逃せない。2009年4月の歌舞伎座公演から。

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安曇野発183回  気になる町々 
坂城町
(さかきまち)


加藤 雅博


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 信州町めぐりは今回4回目。東信と北信の結節点に位置する埴科郡(はにしなぐん)坂城町です。安曇野のほぼ真東で、地図上では近距離に思えますが、一般道路では数時間もかかる距離。中央高速道の安曇野インターから更埴ジャンクションで上信越自動車道に乗り移り、長いトンネルを幾つか通り過ぎた最初のインターが「坂城」です。約1時間30分。
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坂城町役場と町章
 
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町を走る鉄道「しなの鉄道」の坂城駅

 北と西は千曲市に、南と東は上田市に接し、周囲を標高1000メートル級の山に囲まれ、中央を南北に千曲川が流れています。10月に信州北部に大災害をもたらした台風19号では、千曲河川敷の駐車場や公園に浸水がありましたが、幸いなことに最小限の被害で済んだようです。
 
 江戸時代に一時、「坂木(さかき)藩」が置かれた後、天領となりました。北国街道沿いの宿場だった坂木に陣屋が置かれ、幕府代官による支配が行われました。明治19年(1886)坂木村を改称して「坂城村」とし、明治37年(1904)に町制に移行。坂城町が誕生しました。
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県宝の格致学校。明治初期の擬洋風校舎
 
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格致学校の説明板

 さらに昭和30年(1955)、中之条村・南条村と合併し、改めて坂城町が発足。同35年(1960)4月1日 - 更級郡(さらしなぐん)村上村を編入、現在の町の形ができあがりました。来年は坂城町誕生60周年になります。総面積は53㎢余と小ぢんまりとしていて、県内77市町村の中で66番目。東京都足立区とほぼ同じ広さです。
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選奨土木遺産に選ばれた町のシンボル「昭和橋」
 
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千曲川をはさむ人間の鼻に似た奇岩「岩鼻」
 
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町民に人気の温泉施設「びんぐし湯さん館」
 
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万葉防人歌碑のある会地早雄神社(おおじはやおじんじゃ) 
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町のマスコットキャラ「ねずこん」

 人口は、昭和60年(1985)代までは増加を続けていましたが、同63年の16,907人をピークにとくに平成12年(2000)以降減少傾向が強まり、令和元年(2019)11月の人口は、14,289人(男7,047人、女7,242人、5,639世帯)となっています。少子化、人口減の趨勢はいずこの自治体も同じで如何ともし難いようです。
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村上義清をアピールする幟 
 
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町民の愛読書「村上氏」の記念誌

 ところで坂城町の歴史をたどるとき「村上氏」を抜きにして語ることはできません。村上氏最後の当主となった村上義清は武田信玄を2度にわたって撃退した武勇で知られています。町民にとっても郷土が誇る武将なのです。町内の歴史的建造物には村上氏の家紋が掲示されています。
 
 しかしその村上も武田配下の真田幸隆の策略で周辺の諸豪族に去られ、孤立した義清はもはや拠点の葛尾城も支えきれないと判断し、長尾景虎を頼って越後へ逃げ落ちました。これが、川中島合戦の直接的な原因となったとされています。その後、義清は第4次川中島合戦でも奮戦するものの信濃に返り咲くことはありませんでした
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坂木宿ふるさと歴史館

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坂木宿陣屋跡と歴史館入り口

 義清の生涯と歴史を閲覧できるのが、坂木宿陣屋跡地にある「坂木宿ふるさと歴史館」。昭和4年(1929)に建造された木造3階建て和風建築を改修し、1階フロアーは村上関連の資料展示2階に北国街道の宿場の資料を展示していますが、とりわけ村上関係では信玄と真田家との激戦の説明は読みごたえ十分。
 
 坂木宿は北国街道のなかでもっとも早く慶長8年(1609)に宿場の指定を受け、参勤交代が制度化されると北陸、北信濃の諸大名が利用する街道として活用されました。その中で加賀百万石大名、前田藩は毎年数千人の家臣を従え坂木宿に宿泊し、大変栄えた宿場町でした。人と情報が集まり、先端文化の発展の素になったと思われます。
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鉄の展示館と宮入行平
 
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宮入人間国宝の顕彰碑

 それに加えて武将村上義清ゆかりの伝統もあったのでしょうか、人間国宝の刀匠、宮入行平(みやいり ゆきひら、1913-1977)を輩出しています。鍛冶屋だった祖父の姿を見て刀匠を志し、昭和15年(1940)、日本刀匠協会展で文部大臣賞を受賞、伊勢神宮式年遷宮御太刀の制作、同30年(195)、日本美術刀剣保存協会の第一回美術審査会から5回連続で入賞という偉業を達成。同38年(1963)、重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定されました。
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展示館に残された宮入の書と宮入

 以来、数多くの弟子たちを育て上げ、宮入一門会と呼ばれる全国でも屈指の刀匠を育てました。坂城町を「刀匠の町」として知らしめた立役者です。その業績を顕彰し、「刀匠の町」にふさわしい施設として2001年にできた博物館が「鉄の展示館」。ふるさと歴史館のすぐ近くです。
 
 宮入刀匠が制作した日本刀が展示され、日本刀の製造過程、製鉄と鉄の加工技術の変遷がわかりやすく展示されています。海外でも名高く、外国人の訪問客にも「鉄の展示館」は人気です。刀匠と親交のあった俳優の故高倉健さん所蔵の刀剣も遺族から寄贈され、展示されるようになりました。
 
 刀に限らず実は坂城町は長野県の中でも、古くからものづくりの伝統のある町なのです。義清が活躍した戦国時代にはすでに「たたら製鉄炉」があったほか、第2次大戦前後から、中小企業の工場が他の地域に比べてたくさんありました。
 
 以前からの伝統的な中小家内工業に加え、大戦中に東京から疎開してきた企業がそのまま残ったほか、戦後はこれに外部からの誘致がうまい具合にかみ合って好循環してきています。
 
 この成功には、自立心と独立心が強く、旺盛な企業家精神が育ちやすい風土があったこと、在来の機械と新しい電機の技術の結合がうまくいったこと、町の工業振興施策と企業家の熱意が絶妙にマッチングしたなどの好条件が背景にあったからにほかなりません。
 
 プラスチックの射出成形機のメーカー、ヨーロッパでかなりのシェア油圧ショベルがヨーロッパでかなりのシェアを占めている建設機器メーカーなど地方都市には珍しい世界で通用する企業が目白押し。平成5年(1993)に設立された「さかきテクノセンター」は創造的人材の育成、技術開発の支援、 企業間交流・情報提供を展開、力強い支援をしています。
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直販にはネズミそっくりの大根が並ぶ
 
 一方、工業と並び、県内でもよく知られている町の農業特産物の一つ「ねずみ大根」はぜひとも紹介しなければならないでしょう。小さな大根のことを総称して「ネズミ大根」と呼んでいる地域もありますが、坂城町のねずみ大根は画像で一目瞭然。下膨れで根の先端はねずみの尻尾そのもの。文字通りPCのマウスをも思わせます。
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信州の伝統野菜の認定票の「ネズミ大根」

 地元では、中之条地区を中心とした一帯で、一説によると江戸時代から栽培されてきましたが、年々生産量が減少し、種子の混交の恐れも出てきたため、伝統野菜を守るため「ねずみ大根振興協議会」を発足させ、平成19年(2007)「信州の伝統野菜」の伝承地栽培認定を受けました。現在、町内20ヘクタールで20トンを生産、いまや町のブランド品として県内から全国的に浸透しつつあります。
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町内のネズミ大根栽培地 葉に特徴がある
 
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町の直販店「あいさい」の看板

 そして何といってもその味覚の特徴。すっきりとした辛さの後にじんわりと湧き起こる甘さが奥行きの深い味わいとなっています。その味わいを地元では「あまもっくら」と表現してきました。甘いのは、大根自身が寒さから身を守るため、内部に澱粉質をさらに蓄えるためです。この特質を生かす食べ方として好まれてきたのが「おしぼりうどん」という伝統食。
 
 ねずみ大根の絞り汁に味噌、ネギ、かつおぶしなどの薬味をお好みで入れ、釜揚げうどんか、夏は冷しうどんを汁に浸けて食べるきわめてシンプルな料理ですが、これは一度食べると病みつきになりそうな味わい。辛さが好みの向きには堪えられません。町内には8軒の提供店があり、いずこも観光客でにぎわっています。
 
 このねずみ大根の名称に関連して、産地の近くに「鼠」という地名があり、これが名前の由来ではないかと誤解されがちですが、実は無関係。「ねずみ」という地籍にはかつて北国街道の坂木宿と上田宿の間に設けられた幕府無認可の私宿(間の宿=あいのしゅく)があり、茶屋と簡便な宿屋しかありませんでした。
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「鼠宿」があった地籍の信号「ねずみ」

 しかし、人の行き来が激しいことから軍事的な拠点として、口留番所(くちどめばんしょ)を設置して人や物資の出入りを取締りました。予測に反して交通量があまりにも多く担当のお役人は「寝ずに見」なければならないほどの忙しさ。そこでその私宿が「ねずみ」宿となり、「鼠」の地名となったと伝わっています。
 
 最後になりましたが、歴史とモノづくりの町坂城で今もっともホットな話題の人物を紹介しましょう。現代美術界で注目されている小松美羽さん(昭和59年=1984生まれ)は坂城町出身の若き銅版画家・現代アーティスト。
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大英博物館に永久所蔵が決まった有田焼の狛犬(小松さんの画像は町広報誌から)

 幼いころから犬に特別な感情を持ち、神社の狛犬にも興味を持ってきたという小松さんが4年前に立体用に描き下ろした狛犬のデザイン画を有田焼の窯元が磁器にしてくれました。小松さんはそこに絵付けをするという新しい挑戦をしましたが、この作品が大英博物に永久所蔵されることになったのです。
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町役に寄贈された小松さんの作品と小松さん(小松さんの画像は町広報誌から

 この快挙に坂城町と町民は大喜び。「鉄の展示館」で展示会を開いたり、町のイベントに参加してもらったりと町民との交流も盛んになっています。数年前の町民夏まつり「坂城どんどん」でのライブペイントで描かれた作品の寄贈を受け、庁舎内に展示してあります。
 
 作品のタイトルは「親愛なる原点  坂城町へ」。小松さんから「私の故郷 坂城町とその原点、そして信州の土地スピリットパワー。坂城町は私の描く狛犬の原点」と思いがあふれたメッセージが添付されています。わが国のアートを牽引する若手の一人として活躍してもらいたいものです。
 
 他にも紹介したい名勝、スポットが残されていますが、この辺で。今回も刺激的に富んだ町歩きでした。

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うにのおうちごはん歳時記

毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。

写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。



第40回 1月 
海  老


「そう言えばこの海老は殻ごと二つに割ってバタで焼いたり卵を掛けたりするのが東京でも結婚のご披露などでよく出て来る。そんな手間を掛けてまでわざわざまずくすることはないように思えるが、どこで取れたのか解らないのを冷凍にして持って来るのでは送り先に着く前に味も何もなくなってしまうのだということが考えられる。併し一匹の海老の半分というのもずいぶん情けない話で、それだから結婚のご披露というものがつまらないものの標本になる。」
 何度も登場願っている吉田健一の『私の食物誌』から「鎌倉の海老」の一節です。鎌倉の海老とは伊勢海老のことで引用冒頭の「この海老」とは伊勢海老のことを言います。伊勢海老は江戸時代初期に鎌倉の海で獲れ、江戸へ運ばれ、当初は鎌倉海老と呼ばれました。しかし後世、主産地の伊勢志摩から多く運ばれるようになると、伊勢が威勢に通じ、さらに伊勢神宮の連想もあって伊勢海老の名が一般化しました。関東での伊勢海老の産地は房総と南伊豆であって、伊勢海老の具足煮・具足焼はもちろん、伊勢海老ラーメンという料理まであります。高価な食材で房総や伊豆の旅館・民宿では伊勢海老がメインディッシュを飾ります。伊勢海老は鎧兜に身を固めた武士の風格を思わせるため武勇の象徴として縁起がよく、また、腰が曲がり髭の長い老人を思わせるため長寿と慶賀の象徴となりました。それ故伊勢海老は結婚披露宴をはじめとする祝宴の儀に出される料理となり、価格も高価になったのはやむを得ないことなのです。
ちなみに俳句では「海老」という季語はなく、「飾海老」とか「海老飾る」などが新年の季語で登場します(角川俳句大歳時記)。ここで言う海老とはいずれも伊勢海老のことで、正月の門戸の飾りや蓬莱台に橙を抱いて飾られる飾海老はよく詠まれます。
   門松に夕くれなゐやかざり海老(季呂)
   飾海老四海の春を湛えけり(吉田冬葉)

 こんなハレの日の食材である伊勢海老を日常食に取り入れるわけにいきません。現在私たちが使えるポピュラーな海老はブラックタイガーにバナメイエビ、刺身の甘エビ、すこし張り込んで車エビということになります。ブラックタイガーはクルマエビ科で主に養殖の重要種。クマエビとかウシエビと呼ばれます。体長は30cmを超え、頭部を外しても体長は15、6cmある立派な体躯です。それゆえ天ぷらやフライに多く用いられます。そしてここ10年来価格の安さと使い勝手のよさで人気のあるのがバナメイエビです。こちらもクルマエビ科。2000年頃からむきエビや冷凍エビとして流通していましたが、現在は解凍ものが無頭有尾の形で店頭に並びます。ブラックタイガーに比べて安価で、消費量は急激に伸びました。ブラックタイガーもバナメイエビもいずれもエビ。伊勢海老に風格で負けるにしても、普段の食卓に色を添えてくれます
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海老料理の定番海老フライ。ブラックタイガ―は大きめサイズを選べば豪華になります

(※PH2小海老とマッシュルームのアヒージョ).jpg

こちらもおなじみ小海老とマッシュルームのアヒージョです。30年ほど前に伊豆高原のレストラン取材のとき教わりました。スペイン料理ですが、当時はアヒージョ(オイル煮)などという料理用語はなく、ガーリックオイル煮などと呼んでいました。アヒージョという語が一般的になったのはここ10年足らずのことです

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小海老とタマネギのかき揚げ。上野に蓮玉庵という老舗のそば処があります。その店の定番ランチメニューが小海老とタマネギのかき揚げ蒸籠なのです。左の青みは明日葉です

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秋口になると登場するのが我が家の定番、小海老と冬瓜の銀餡煮

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蕨と小海老の銀餡煮。いただいた蕨の塩漬けを塩抜きし小海老とともにさっと煮ます。ちょっとでも煮る時間が長いと蕨が煮溶けてしまいますので要注意!!


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共通テーマ:グルメ・料理

2020年ご挨拶

謹賀新年

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今年も中高年の「元気が出るページ」をよろしくお願いいたします。

                                     
元旦


                                      
編集人 村上芳信

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中高年の「元気が出るページ」12月号 番外編 

 11月17日〜19日2泊3日のツアーに参加して


京都三千院


 初日、午後京都に着いて早々に三千院に連れていかれた。
バスを降りると川沿いの登り坂を約15分歩いたが、半分ぐらい登ったところで私はギブアップ。あえぎあえぎ歩いてきたが、漬物屋の前のベンチにたまらず座り込んだ。ツアー連中は私の前を悠々と通過して行った。置いてけぼりを食った私は一人後を追ったが、連中の後ろ姿はなかった。左の石柱に三千院とある。右にある店屋の主人に真っ直ぐ行くと奥に滝があると教えられ、行って見たいと思っているところへ携帯電話がブブとなる。いったい誰がこんなところへ掛けてきたのだろう思いながらでると「添乗員の佐藤ですが、村上さん今どこですか?」「石柱の所です」と言ったが佐藤氏はイメージしかねているらしい?「私は三千院前の門の所でお待ちしているのですが、入るためのパンフレットをお渡ししたいのですぐきてください」と言われ、はて?左の石畳を行くのかなと危ぶみながら登って行くと門前に佐藤氏の姿があってホッとした。パンフレットを渡され、集合時間まであと小1時間だという。館内を急ぎ巡ることになった」
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客殿からの眺め

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回廊からの景色1

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回廊からの景色2

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回廊外からの景色

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三千院門前


ツアー二日目(11月18日)の夕方は雨

ライトアップ、雨の東寺


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ツアー3日目晴れ
史跡琵琶湖疎水の「水路閣」


 南禅寺境内にある水路は明治18年に起工され23年に竣工。延長93.17m幅406m水路幅2.42m煉瓦造りアーチ構造京都を代表する景観の一つと掲示板にあり、若い人たちで賑わっていた。
お寺に水路、不思議な景観だった。
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共通テーマ:旅行

中高年の「元気が出るページ」12月号                       ①うにのおうちごはん歳時記第39回  大根と小芋                  ②215回シネマトーク 【心優しい反戦映画、そして愛の成就】

(((215シネマトーク)))

 
【心優しい反戦映画、そして愛の成就】

西島 雄造

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「再会の夏」

 第一次世界大戦の時代を描くフランスとベルギーの合作『再会の夏』。原題の『赤い首飾り=Le collier Rouge』が、この優れた物語を象徴している。監督はフランスのジャン・ベッケル(1933~)。フランス・ギャング映画の金字塔『現金に手を出すな』(1954)や、画家アメデオ・モディリアーニを描いた『モンパルナスの灯』(1958)などが忘れられないジャック・ベッケル監督(1906-60)の子息である。
 フランスの地方の町の留置所。戦線から離脱して、軍法会議にかけられるはずの兵士たちが収監されている。モルラック(ニコラ・・デユヴォシェル)は、大戦中の勲功でレジョンドヌールを受けたのだが…。当時の戦場には犬まで動員していた。列車で移動中、モルラックは一匹の犬を目にして列車に呼びこみ、ともに過ごすようになる。
 話はあとになるが、1919年、第一次大戦が終わって革命記念日の式典で、壇上に並んでいたモルラックは、首に提げるべき勲章を犬の首に着ける。栄誉ある褒章を犬に与えたことが国家を侮辱したと式場は騒ぎになり、モルラックは逮捕された。レジョンドヌールは赤のリボンや薔薇飾りが特徴だ。原題にあるCollierは犬などの首輪の意味もある。『首輪のない犬=Chiens Perdus Sans Collier』はジャン・ドラノア監督1956年の作品。
<英雄も勇気も愛国心も>国家が決めたことで、国民は戦場に駆り出されて命を失っている=モルラックの論理である。ついでながら、この賞を拒否した人物は、実際にキュリー夫人から作曲家のモーリス・ラヴェル、女優のカトリーヌ・ドヌーヴらまで少なくない。モルラックには愛妻と息子がおり、戦場から密かに会いに行くが、若い男を目撃して妻の不倫を疑い、妻子の前に姿を現すことなく立ち去った。
 そして戦後の話で映画は始まる。軍の判事ランティエ(フランソワ・クリュゼ)は、モルラックをかける軍法会議を控え留置所を訪れる。建物の前庭には男についてきた犬が木につながれ、主人を呼ぶように吠えていた。ランティエは、この仕事を最後に、自身の戦争にも終止符を打つつもりで、モルラックをなんとか無罪にしてやろうと考えている。
 二人の面談が繰り返される。はじめ頑なだったモルラックも、ランティエの人間性にほだされ、二人の会話が親密になって行く。妻ヴァランティーヌ(ソフィー・ヴェルベーク)の不倫は誤解だ、一度会いに行くようにと強く再会を勧められ…。旗を振ったり大声をあげたりすることもなく、生身の人間の心のうちを細やかに描くことで、期せずして反戦への思いが伝わる。ロシアとブルガリアの合同軍と対峙していたフランス軍ともども、果てしない塹壕戦に嫌気がさし、もう戦うことを止めようと、インターナショナルの歌を、両軍が一緒になって合唱し始める場面も印象深い。83分の作品で、こんなにも濃密な映画を作ることが出来る。フランスの西部、コニャックと陶器で名高いシャラント県の、自然を写す光と影の色調が鮮やかだ。フランソワ・クリュゼの淡々とした演技が好ましい。
 人生は芽生えと喪失の連環だ。生と死の間を生きている。人の感情は複雑だ。ときにもつれる。トラウマが忍び込んでくる。感情は人生を劇的に変えもする。予期できる人生は少ない。しばしば予測できない事故が起こる。
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ライフ・イットセルフ 未来に続く物語

 『ライフ・イットセルフ 未来に続く物語』も、人生を描く。とても思索的、哲学的でさえある。脚本を書き演出したダン・フォーゲルマンは40歳代半ば。2015年の『Dearダニー 君への歌』で長編映画デビューを果たし、ジョン・レノンが書いた手紙をモチーフに、アル・パチーノが好演した。脚本はいろいろ手がけているが、感情の内面に深く視線が届いている。
 映画はウィル(オスカー・アイザック)とアビー(オリヴィア・ワイルド)の物語で始まる。愛し合い子どもが生まれる直前に、アビーが事故で他界する。生前、ボブ・ディランのことをよく話していた。アビーが遺した娘にディランと名付けた。しかし、ウィルは喪失の悲しみから逃れきれない。セラピーにも通い、セラピストのモリス(アネット・べニング)に、アビーの生きてきた足取りを語る。アビーもまた7歳の時、交通事故で両親を亡くしながら、自らを駆り立てて未来へ歩んできた。
 劇中ボブ・ディランが1997年に出した30枚目のアルバム<Time out of Mind>の中のLove Sick=恋わずらい>が流れる。歌 「歩く 頭の中に君がいる… 君の微笑は僕を壊した…」ウィルの心象そのものだ。映画はオムニバスの形で進められる。舞台もニューヨークからスペインのセヴィリアへ、セリフも英語からスペイン語に。
 サチオーネが登場する。オリーブ畠のオーナーだ。両親はイタリア人とスペイン人。演じるバンデラスの演技は刮目していい。父親が莫大な資産を残して他界。息子はスペインに移住する。ここで登場するのはハビエル(セルビオ・ペリス=メンチェータ)。サチオーネに目をかけられて、農園のリーダーになる。生活に余裕が出来たので、イザベル(ラィア・コスタ)と結婚し、息子ロドリゴが生まれた。父親の愛に恵まれないまま成長したサチオーネは、満ち足りた家族生活を営むハビエル一家を目の当たりにして、何かと一家を訪れてはロドリゴの成長を楽しみ、孤独をいやす。ハビエルの心にひっかかる感情が芽生え、一家はニューヨークを訪れ、ウィルとアビーの娘ディランと出会い…。まるで輪舞のように人生がつながっていく。人生は切なく美しい。登場する俳優がみな巧い。
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「カツベン!」

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 「カツベン!」

 『シコふんじゃった』(1992)『Shall We ダンス?』(96)で異色の才気を見せた周防正行監督の新作『カツベン!』は、監督自身が面白がってカメラを回している様子が伝わってくる。活動弁士になりたいと俊太郎(成田凌)は町の活動写真館・青木館にやってくる。小屋主を演じるのは竹中直人と渡辺えり。館に出入りする酔っぱらいの弁士(永瀬正敏)、刑事(竹野内豊)、映画監督(山本史)、ライバルの館主(小日向文世)…さまざまに見せる人間模様。脚本は片島章三。ときおり挿入する当時の無声映画『南方のロマンス』や、当時の作品を再現して新たに作った『椿姫』『十誡』『不如帰』『金色夜叉』『雄呂血』『國定忠治』…あれもこれもの大サービス。
 戦後も映画館の看板には<全発声>といった文字が大書されていた。映画に音が付いたのは1927年のワーナー・ブラザース製作『ジャズ・シンガー』から。日本では五所平之助監督『マダムと女房』(1931)が最初。それまでは小編成の楽団を背に活動弁士があらすじを語り、「若いメリーと老いたるメリーは…」などと画面に合わせながら解説した。徳川夢声、生駒雷遊ら弁士は当時の花形スター。駅に着くと赤ジュータンが敷き詰められ、オープンカーで繁華街を練ったと伝えられる。米ハリウッドでも、<ダンシング・イン・ザ・ダーク>や<あなたと夜と音楽と>などを作曲した著名なアーサー・シュワルツ(1900-1984)などは、14歳にして無声映画の伴奏者を勤めている。
 映画は青木館をめぐるドタバタ仕上げである。十分に楽しめた。しかしドタバタとしては、127分は長くないか。無声映画の王者チャールズ・チャプリンの映画を見ると、初期の『犬の生活』『担へ銃』『偽牧師』はいずれも上演時間が40分台、『キッド』68分、『街の灯』86分、名作『モダン・タイムス』でさえ87分。1969年に始まった<寅さん>シリーズも、初期は90分台で収まっており、大いに笑わせた。100分を越えたのは数えるほどしかない。『シコ ふんじゃった』も103分だった。もう少し編集を考えれば、もっと軽快でドタバタらしくなったのではないか。
 映画は奥田民生の歌<カツベン節>で締めくくる。元の歌は「ラメチャンたらギッチョンチョンでパイノパイノパイ…」と、東京の風景を歌い込んだ<東京節>。アメリカの<Marching Through Georgia=ジョージア行進曲を模した。1865年に作られたものだ。
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「シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢」

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実在した・シュヴァル本人

 『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』は実際にあった話。フランスの地中海に近い村に住むジョゼフ=フェルディナン・シュヴァル(1836-1924)。郵便配達をしている。少し偏屈で、人と顔を合わせるのが苦手。先だった妻の埋葬の時でさえ顔を隠そうとする。一人になって、父親が「一緒にやっていけないだろう」と幼い息子シリルを連れ去る。
 山坂を上り下りする日々。歩きながら空想にふけり、ときには雑誌に描かれたアンコールワットに目を凝らす。形の面白い石を見つけると持ち帰って集めおく。或る日、配達の途中で女性フィロメーヌ(レティシア・カスタ)から声を掛けられ、水をもらってのどを潤す。女性は夫を亡くしていた。これがきっかけで、いつしか愛し合う仲になる。1879年、拾い集めた大小の石を積み上げ、建物作りに熱中し始める。パン屋で働いたこともあり「粉をこねるのも、石灰を練るのも同じ」と言い、独創的な建造物が形を現しはじめた。
 気がつくと33年が過ぎ、世界は第一次大戦に突入していた。その間にフィロメーヌとの間にもうけた娘アリスを、15歳のときに病気で失い、妻も他界した。孤独の中で<アリスの宮殿>つくりは終わることなく、長じて仕立屋になった息子のシリルも手を貸すようになる。取材記者たちも訪れる。写真に撮って絵葉書にするように助言を受け、宮殿は世界に知れ渡った。完成したのは1922年。いまではフランス政府が重要建造物に指定し、観光客が訪れている。色彩を極力抑えた撮影で宮殿の素朴さを強調している。精神が高貴な男が成し遂げた高貴な仕事である。主役のジャック・ガンブランが好演している。監督のニルス・タヴェルニエはベルトランの子息。
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「ターミネーター ニュー・フェイト」

 第一作から35年、新作『ターミネーター ニュー・フェイト』(ティム・ミラー監督)が上映中だ。おなじみアーノルド・シュワルツエネッガーとリンダ・ハミルトンも顔をそろえ、相変わらず華々しいアクションを見せる。とりわけカーチェイスの特撮はすごい。ひたすら戦闘的、攻撃的、破壊的な画面が続く129分。ストーリーに現実味は薄いから、サスペンスはもう一つ。2042年の未来から送り込まれたスーパー・ソルジャー、グレースに扮する、カナダ出身のマッケンジー・・デイヴィスは得難い資質。
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「i新聞記者ドキュメント」

 第32回東京国際映画祭の<日本映画スプラッシュ>部門で、作品賞に選ばれた森達也監督の『i 新聞記者ドキュメント』。まず題名の<新聞記者ドキュメント>というのは、ドキュメンタリーとは異なる意味を持たせているのだろうか。ならば、《新聞記者記録》とそのまま受け取っていいのか。映画の広告には<新感覚ドキュメンタリー>ともあり、「既存の社会派ドキュメンタリーとは一線を画す」という。わかりづらい。
 それはさておき、そこにある事実をとらえた映像を積み重ねてゆくのがドキュメンタリーだが、この作品は初めに筋書があり、それに沿って映像を編集しているような印象だ。登場するのは東京新聞の社会部記者望月衣塑子。1975年生まれ、二児の母親。優等生コースを歩んでいる。慶応大学法学部を卒業して、中日新聞(東京新聞)に入社。現在は社会部遊軍記者を務めているという。
 映画には沖縄・辺野古基地移設問題、国有地払い下げに絡んで首相の意を“忖度”したかどうかなどで話題になり、前川喜平(当時文部科学省事務次官)まで俎上に乗った森友学園問題などを取り上げながら、望月記者が活躍する姿を追いかける。ハイライトにしているのは菅義偉内閣官房長官による記者会見の場で、望月記者は同じ質問を繰り返し重ねる。「納得できる答えをいただいていないので繰り返しています」との発言に、いささか鼻白む官房長官の表情を執拗にとらえる。描き方は官房長官=記者を無視、望月記者=正義の味方。
 望月記者は行動的だが、果たしてすべてが純粋な記者活動なのか。映画を観る限り判然としない。記者会見の現状に疑問を抱くのはいい。しかし会見にはおのずとマナー、ルールがあり、節度を求められる。望月記者の長い質問は、他の記者が質問する機会、時間を奪ってはいないか。東京新聞社の内部ではこうした行動を、どう評価しているのか、映画で答えてほしかった。本来、記者活動は極めてプライベートなもので、取材する姿をカメラの前にさらけ出すなど考えられない。
 監督自身も国会前で警察官に「記者会見を撮影したい」と執拗に迫りながら、その姿を撮影させる。ドキュメンタリーとしては正統な手法とは言い難い。外国人記者に一面的な評価をさせる。辺野古問題で朝日、毎日新聞と読売新聞の扱いが違うと主張する。日本の新聞がそろって同一の紙面を作ることこそ危ない。日本は全体主義国家ではない。主張を急ぐあまり、本質を見失った結論。
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「ゾンビランド ダブルタップ」

 『ゾンビランド ダブルタップ』(ルーベン・フライシャー監督)は2009年、同じ監督作の続編。謎の新型ウイルスに感染してゾンビになった集団が地球を占拠する。地球を埋め尽くし、人類は壊滅状態。ゾンビから逃れ<サバイバル32>のルールを考えた大学生コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)はタラバン(ウディ・ハレルソン)と出会い…というのが始まり。そして今作。
 ワシントンの市街も大統領官邸のホワイトハウスも荒廃しきっている。エルビス・プレスリーが息を引き取ったテキサス州メンフィスのグレイスランドも登場する。トロフィールームにはゴールデンレコード、本人が着用したジャンプスーツや靴、ポスターなどが飾られ、いまはホワイトハウスと同様に国の歴史建造物になっている。ここでプレスリーに扮して歌うハレルソンが見もの。映画はハチャメチャのコメディながらテンポよく見せる。演出をまっとうに受けて笑わせる俳優たちはさすがである。ハレルソンはニール・サイモンの舞台で見いだされた演技力の確かな俳優だ。エマ・ストーンも、おかしい。

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中高年の「元気が出るページ」12月号                       ①うにのおうちごはん歳時記第39回 12月 大根と小芋               ②215回シネマトーク 【心優しい反戦映画、そして愛の成就】

うにのおうちごはん歳時記

毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。

写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。



第39回 12月 大根と小芋



 「ヨウゝヨウゝ 大根(だいこ)めゝ」(ようよう、ようよう、大根め、大根め)
『東海道中膝栗毛』七編上で、芝居好きの北八が京都四条の芝居小屋で役者に大声で呼び立てた言葉です。作者はこの部分に「此大根といふ事は、上方にては役者の下手なものを大根といふ。北八、そのわけは知らず、人が大根ゝといふを、きいたふうに、役者さへ見ると、大根ゝとよびたつるを」ほかの観客たちは北八を物知らずと小ばかにしたと注記しています。この時代、下手な役者をあざけって大根役者と言うことは上方の言い方で、江戸ではまだ一般的で無かったことが窺えます。
 ちなみに「大根役者」の語源は諸説あって、大根は根が白いのでしろうと(素人)っぽい演技の“しろ”にこじつけたとか、芝居で馬の脚を演じる役者が下手で大根のようだとか、大根はどうやって食べても当たらない(食中毒にならない)ことから当たらない役者だ、などがあります。
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大根の中でももっともなじみ深い青首大根
(写真提供:花ざかりの森


 大根は日本でもっとも古い野菜の一つで『延喜式』には栽培のほかその利用についても触れられています。古名はオオネといいその音読からダイコンの名になりました。漢名は籮蔔(らふく)と書き、中国ではロープと読まれました。千切りにした大根を北京語でセンロープといいますが、それが訛って「千六本」となったと、『たべもの語源辞典』の清水桂一氏は説明しています。
 冬野菜の代表の大根ですが、煮ても、焼いても、おろしても、揚げてもおいしく、日頃の食事と密接に関わっていることは周知のごとくです。
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豚ばら肉と大根を炊きました。豚肉の旨さを大根が吸っておいしさ一塩です。酢橘を添えました

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山形の芋煮会を偲んできのこ汁。里芋・大根・牛蒡・人参・舞茸・えのき茸・長ネギ・豚肉の細切れと具材たっぷり。しょう油仕立てです。こちらも酢橘を添えました。左は辛子明太子おろしです

 さて、里芋です。江戸時代、芋といえば里芋でした。古くは“うも”と発音されていたらしく、『万葉集』には“宇毛”とあるそうです。日本人が親しんできたこの芋は、山芋と里芋がありました。山芋は山で採取する芋、里芋は里(畑)で作る芋です。京都では里芋を小芋(子芋)といい、大坂と江戸では里芋と呼びました。
 この里芋、蛸の大好物だったそうで、
    芋畑足の長いに油断せず(誹風柳多留五二32)
    泥棒を桜煮にする芋の主(誹風柳多留七四24)
といった柳句が残されています。「山芋変じてうなぎとなる」の言い伝えがありますが、里芋と蛸の関係もこの類いでしょうか。
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里芋の代表品種、土垂(どたれ)
(写真提供:花ざかりの森)

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小芋を塩茹でにした衣かつぎ。品種は石川早生です。指でつまんで押すと皮がつるんと剥けて心地よい

 里芋は江戸時代市中で販売されましたが、その価格は『柳亭記』(※注)に残っています。だいたい一升24文だったといい、時として16文で売った。文化のころは24文、天保の初めは32文、天保9年には64文になったと、時代が下るとともに高騰していきます。現在でも里芋はじゃがいもに比べて割高感があります。
 秋が深まると大根も里芋も味が深まります。日本らしい食味が堪能できる季節です。
(※注)『柳亭記』 江戸後期の戯作者で『偐紫田舎源氏』の著作で知られる柳亭種彦(天明3年1783-天保13年1842)の考証的な随筆集。刊行年不明。
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秋の旬が揃いました。石川早生と山形の食用菊もってのほか、それと銀杏です



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中高年の「元気が出るページ」11月号                       ①うにのおうちごはん歳時記第38回 11月 金沢のごり               ②安曇野発182回  気になる町々 下諏訪町(しもすわまち)             ③214回シネマトーク【自ら耳を削ぎ落とした画家ゴッホ】 

(((214シネマトーク)))

【自ら耳を削ぎ落とした画家ゴッホ】

西島 雄造


 秋にふさわしい芸術的な作品が並んだ。
 オランダのアムステルダムに、ファン・ゴッホ美術館がある。近くには国立美術館があり、レンブラントの大作<夜警>に圧倒される。ゴッホ美術館には<フェルトの帽子をかぶった自画像><烏のいる麦畑><ひまわり>そして、かつてポール・ゴーギャン(1848-1903)と過ごした仏アルルの<黄色い家>など油絵約200点、デッサン500点、書簡700点、作家が魅せられたという浮世絵500点を収蔵している。居心地のいい美術館だ。
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「ゴッホとヘレーネの森 クレラー=ミュラー美術館の至宝」

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「ゴッホの自画像」(シカゴ美術館蔵)

 クレラー=ミュラー美術館は、オランダ・ユトレヒトの東、デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園の中に、1939年に開館した。実業家アントン・クレラー・ミュラーと妻ヘレンが蒐集したゴッホの絵画<種まく人><糸杉と星の見える道>など87点を収蔵し、周辺は“ゴッホの森”とも呼ばれている。
 『ゴッホとヘレーネの森 クレラー=ミュラー美術館の至宝』は、これらの作品に寄り添いながら、ゴッホの作家としての短い10年をたどるドキュメンタリー。原題は『ヴァン・ゴッホ 小麦と空の間』。ジョヴァンニ・ピスカーリア監督は、伊ボローニャ大学からミラノのデザイン学校を出ており、美術に造詣が深い。『歓びのトスカーナ』などでおなじみの、イタリアの女優ヴァレリア・ブルーニ・デデスキが案内人をつとめる。
 弟テオに宛てた数百通の手紙が、フィンセントの心のうちを解き明かす。1880年、画家への思いを断ち切れず、ベルギー・ブリュッセルの王立美術アカデミーの門をくぐるが、数か月で去る。86年、画商を営むテオを頼ってパリに移り、ゴーギャンとも出会う。88年に南仏アルルへ移り住み、しばらくはゴーギャンと共に過ごすが、考え方に溝があって離別。そして左の耳を切る事件を起こした。
 1890年7月27日、ピストル自殺を図り、翌々日に37歳の短い人生を閉じる。田園風景や農民の姿など、大自然のありのままを描いた初期から、パリではモネやルノワールら印象派の作品を目の当たりにし、モンマルトル周辺を画布に残した。色彩が鮮やかになってゆく変化が興味深い。90分のドキュメンタリーが映しだす天才画家の魂の彷徨。
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「永遠の門 ゴッホの見た未来」

 『永遠の門 ゴッホの見た未来』は、2007年の『潜水服は蝶の夢を見る』で、カンヌ国際映画祭監督賞のジュリアン・シュナーベル監督。英・仏・アメリカの合作。フィンセントに扮するウィレム・デフォーが、鬼気迫る演技を見せる。主に人生の晩年、アルルと自から希望して入院したサン=レミ精神療養院での日々が描かれる。このころ描いた油彩<サン=レミ療養院の庭><夕暮れの松の木>そして死の直前に遺した<薔薇>が美しい。経済的にテオの負担になっていることへの葛藤。そして7月27日、フィンセントは二人の少年に襲われ、ピストルで撃たれて2日後に世を去る。<少年に撃たれた>ことを口にすることはなかった。《自殺》との定説と解釈が異なる。演出はやや高踏的で、フィンセントの眼を意識するように、手持ちカメラを自在に操り、逆光も順光もかまうことなく撮り続ける。輝く太陽が大地に降り注いで染める黄色から解放されることなく終わった生涯。自分が見たものを信じ、後世に伝える…それこそ《永遠の門》だったのか。
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「アンドレア・ボチェツリ 奇跡のテノール」

 『アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール』は、映画の中ではアモス・バルデイと名乗っているが、生涯に5000万枚のアルバムを世に出したという盲目のテノール歌手アンドレア・ボチェッリの伝記である。1958年、伊トスカーナで産声を上げるが、生まれながらに緑内障を患っていた。3歳になって手術を受け、6歳からピノを習った。
 不運にも12歳のときにサッカーボールが眼を直撃。脳内出血から視力が悪化し、母親の顔すらぼんやりとしか見えなくなった。それでも自立しようと法律を学ぶ。生活のため、ピアノの弾き語りもする。三大テノールともてはやされた、ルチアーノ・パヴァロッティ(1935-2007)に見いだされ1995年にデビュー。2007年には英ダイアナ王妃の追悼コンサートで「オペラ座の怪人」を歌っており、4度の来日コンサートも果たしている。
 映画ではオペラ「椿姫」から<乾杯の歌>、「トスカ」から<星は光りぬ>、「トウーランドット」から<誰も寝てはならぬ>など数々の名曲を、ボチェッリの声で聴かせる。エンデイングロールでは1200万枚を売った<Con te Partiro=ともに旅立とう>を朗々と歌う。監督は『イル・ポスティーノ』(1994)のマイケル・ラドフォード。アモスにトビー・セバスチャン。アントニオ・バンデラスも顔を出している。
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「マイ・フーリッシュ・ハート」

 『マイ・フーリッシュ・ハート』(ロルフ・ヴァン・アイク監督)は、トランペットを吹きながら58歳で死んだチェット・ベイカーの晩年を描く。そのトランペットを初めて聴いたのは昭和28年。まだ78回転・S盤のA面が<マイ・ファニー・ヴァレンタイン>で、ジェリー・マリガン四重奏団に加わっていたと記憶する。空気を裂くように鋭角に奏でる音、かすれ気味の声で甘えるように紡がれる言葉。
 1978年ごろからヨーロッパに拠点を移し、最後はオランダ・アムステルダム中央駅に近いホテル・ヘンドリックの2階の窓から転落して息絶えた。体内と部屋にはヘロインとコカインが残留していた。映画もその最後の日々と、事件を追う刑事の姿を描く。愛する女サラに去られ、金にも困っていたばかりか、薬を積んでいた赤いアルファロメオまで盗まれる八方ふさがり。  
 1950-60年代はドラッグがジャズ奏者の間に広まっていた。それでもなお美しい音を響かせ続けた。映画の中でも<マイ・ファニー・ヴァレンタイン>や<マイ・フーリッシュ。・ハート>などを聴かせる。スティーヴ・ウォールが好演するほどに、ファンは胸が切なくなる作品である。
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「残された者ー北の極地ー」

 『残された者―北の極地―』は、珍しいアイスランドからの作品。舞台はArctic=北極。氷地にプロペラ機が不時着する。生存者は男一人。Air Forceと記されているから軍機だろう。男の生きるための闘いが始まる。氷を穿ち北極イワナを釣り上げて腹を満たす。ときに巨大な白クマが襲いかかり、発煙筒をたいて撃退する。SOSの無電を打つが、届いているかどうかも定かではない。
 救援機らしいヘリコプターが飛来した。喜びもつかの間、ブリザードにあおられて墜落。パイロットは絶命したが、女性が生き残っていた。腹部に深い傷を負っている。応急手当を施すなど、一人で生きているときと異なり重荷が増えたが、相手ができたことは孤独を紛らわせてくれる。だが、救援を待っているだけでは先が見えない。意を決し女を橇で引きながら、山を隔てた基地へ向かい始める。苦難の道だ。二人はたどり着けるだろうか。
 
 脚本も書いたジョー・ペナ監督はブラジル出身の52歳。主役のマッツ・ミケルセンはデンマーク・コペンハーゲン出身の53歳。デンマーク作品『偽りなき者』(1997)でカンヌ国際映画祭の主演男優賞を手にしている。『永遠の門 ゴッホの見た未来』にも顔を出している。アイスランドで撮影した極地の風景が美しい。
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「オーバー・エベレスト 陰謀の氷壁」

 『オーバー・エベレスト 陰謀の氷壁』は題名の通り8848メートルの世界最高峰が舞台である。航空機がこの山頂で墜落する。機内には武器商人が世界に戦火を起こそうと企む機密文書が残されている。ヒマラヤ地域に平和を願って開催される国際会議を妨害する陰謀だ。ヒマラヤ救助隊<チーム・ウィングス>に、機密文書を回収する依頼があった。チームの隊長は“ヒマラヤの鬼”と称されているジアン(役所広司)…。
 見るからにスケールの大きい大作風。大作を意識してか、監督・脚本のユー・フェイ=余非は、映画を楽しませる多くの要素を盛り込んでいる。スリル、サスペンス、活劇、友情、メロドラマ、そして国際的な陰謀…。監督は極地に精通しているようだが、映画を手がけるのは初めてという。中国からチャン・ジンチュー=張静初、台湾出身のリン・ボーホン=林柏宏、音楽は川井憲次と、スタッフ、キャストも国際色豊か。雪山はカナダでロケ、ネパールの街中の風景もサービスして、110分にまとめた演出の手際は悪くはない。
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「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」

 『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』(アレクセイ・シドロフ監督)は、第二次世界大戦下の独×ソ戦争を舞台にした、ソ連軍戦車隊員の英雄譚である。4人の隊員とともに、ソ連が開発した戦車=<T-34>が主役。物語は伝説となっているとのこと。ロシアで空前のヒットとなったのも当然で、予定調和の最後は想像できるから、いくらかサスペンスに欠けるが、撮影に工夫があり面白く見せる。時は1941年。T-34は様々な地形を自在に移動することが出来るのが特徴で、独ナチスの中戦車パンターを圧倒し、独ソ戦争でソ連側の反撃の象徴として活躍している。
 ソ連軍の将校ニコライ・イヴシュキン(アレクサンドル・ペトロフ)は、ナチス・ドイツとの戦車戦に敗れ、悪名高いブーヘンヴァルト強制収容所に送られる。独軍のイェーガー大佐(ヴィンツェンツ・キーファー)は、捕虜のソ連軍の戦車兵載せたT-34とヒトラーユーゲントの戦車兵を戦わせることで、実戦的な訓練を目論む。選ばれたソ連軍の4人が乗ったT-34は無装備で、独軍から逃げるだけ。しかし、ソ連軍は密かに隠した6発の砲弾を搭載していたから…。ロマンス話も交えて、めでたしの物語。4人のソ連兵が個性的で愉快だ。
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「少女は夜明けに夢をみる」

 『少女は夜明けに夢をみる』は、イランのメヘルダード・オスコウイ監督が手がけた異色のドキュメンタリー。18歳になるまでの少女の更生施設が舞台だ。さまざまな罪を背負った少女たち。おじにレイプされた者、父親の麻薬を買うために体を売る者、盗みをする者…少女たちの意思ではない。明日どころか今日すらないのに、ひたすら幸せを求めている。男女が平等ではない社会。それでも神=アッラーを信じる気持ちに変わりはない。この映画を、どう評したらいいのだろう。「私の夢?死ぬこと」という少女の表情が痛ましすぎる。
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「クライマックス」

 『クライマックス』は、“フランスの鬼才”とも言わるギャスパー・ノエ監督の作品だが、監督はアルゼンチンのブエノスアイレス出身で、パリの映画学校を出ている。これまでに『カノン』(1999)や、ヴァンサン・カッセルとモニカ・ベルッチ主演で、レイプの場面に毀誉褒貶があった『アレックス』(2002)がある。作品で観客を挑発し続けていることは確かだ。
 雪山の一軒家。三日間のダンスショーのリハーサルが行われた。振付はストリートダンス風だったり、ファッションショーのランウエーのような歩き方をしたり。いずれも身体能力には優れている。そして打ち上げパーティー。カクテルのサングリアが供されたが、どうやらコカインかLSDが混入されたらしく、次々と中毒症状に陥る。犯人探しも始まる。気分がハイになったダンサーたちは、乱交さえ始める。男女、女同士、男と男…。
 カメラは長回しに始まり、天地逆転したり斜めにしたり、あるいは俯瞰と目まぐるしい。監督は何を言おうとしているのか。1960年代にアヴァンギャルド=先端、前衛的=という芸術分野などでの流れがあった。この映画も、そう言えないことはない。一夜が明けて、警察やら犬やらが押し入り、映画はあっ気なく97分の幕切れ。
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「マチネの終わりに」

 『マチネの終わりに』(西谷弘監督)は、2015年から16年にかけ、毎日新聞に連載された平野啓一郎の小説が原作。少し気障なメロドラマだ。きざを貶めるものではない。立派な資質だ。登場するのは天才的なギタリスト蒔野聡史(福山雅治)とパリの通信社で働く小峰洋子(石田ゆり子)。蒔野は20年目のコンサートを終えて、少し迷いが生じ演奏から遠ざかっていた。そんなとき小峰と出会う。小峰はフランス人の映画監督を父にもち、アメリカ在住の経済学者(伊勢谷友介)と婚約している。
 不倫の匂いもするメロドラマ。このところ邦画はアニメやテレビドラマの映画化に押され、メロドラマという映画の大きなジャンルを忘れがちだ。それだけに、こうした大人の映画は嬉しい。福山は端正な顔つきで得難い二枚目だ。石田の顔は混血の骨格ではない。石田の責任ではない。原作はどうあれ、パリで働くジャーナリストという設定のためだろうが、映画で父親をフランス人にしなければならない必然性はあまりない。桜井ユキはなかなかのキャラクターだが、この横恋慕も???古谷一行が蒔野のギターの師を演じる。福田進一の監修で奏でられるギターの音色が心地よい。
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「閉鎖病棟 それぞれの朝」

 『閉鎖病棟 それぞれの朝』は平山秀幸監督の新作。原作の箒木蓬生は九州大医学部卒で、精神科医である。これまでに吉川英治文学賞新人賞、山本周五郎賞を手にしている。長野の精神科病棟で治療を受けている老若男女。笑福亭鶴瓶演じる梶木秀丸は殺人の罪で死刑執行されながら、失敗して生きながらえている。幻聴から気持ちが不安定になるチュウさん(綾野剛)、暴力的な父親を避ける女子高生の由紀(小松菜奈)、カメラが趣味の若者もいる。秀丸を中心にした群像劇と言えるだろう。精神科医が書いた原作となれば、背景に体験した事実が潜んでいそうだ。しかし、事実だけでは映画は完成しない。 フィクションが描く事実を上回る“事実”の重さが、より高い映画に導く。
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「地獄少女」

 どうにも気が向かない題名の『地獄少女』だったが、『惡の華』で異色の演技を見せた玉城ティナが出ているので腰を上げた。2006年10月から「闇の彼方より」で始まったテレビアニメ。一部には絶大な人気があるようだ。午前零時にアクセスできる地獄通信を通して復讐をクリックし相手の名を送信すると、地獄少女閻魔あい(玉城ティナ)が現れる。契約が成立すれば、恨みの相手は地獄をさまようことになるが、自身も地獄に堕ちる…。白石晃士監督は「美しさと悲しさと兇暴さが同居する青春映画」と言っているが、ホラーにも、ファンタジーにも見えない子どもだましで終わっている。玉城は相変わらず光っている。
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「女殺油地獄」

 近松門左衛門が享保6年(1726)に書いた人形浄瑠璃『女殺油地獄』は、道行物にない人間の業が描かれ、現代にも通じる。歌舞伎の舞台にも繰り返し乗せられてきた。戦後の1964年、父の十三代片岡仁左衛門が旗揚げした朝日座の舞台で、二十歳になったばかりの片岡孝夫(現・十五代仁左衛門)が与兵衛の初役を勤めた。なかでも片岡孝夫と坂東玉三郎が最後に演じた歌舞伎座の舞台が忘れられない。まだ体力を残していた二人、与兵衛とお吉が、床にしたたる油に足を滑らせ、転び、まろび、のたうちまわる壮絶さ。
 今作は染五郎から2018年に十代を襲名した松本幸四郎と市川猿之助が演じた大阪松竹座の舞台。片岡孝夫の演技を思い出しながら、少し危ぶむ思いで鑑賞したが、期待を上回る幸四郎の充実した演技に驚いた。放蕩息子が金の無心に訪れたお吉の家に上がり込み、殺意をたぎらせてゆく様には、すごみさえ加わった。浄瑠璃に合わせた上方の味も出ている。お吉役の市川猿之助には老舗の内儀らしいたたずまい、河内屋徳兵衛の中村歌六と合わせて情の深い演技も堪能した。演出は井上昌典。

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中高年の「元気が出るページ」11月号                       ①うにのおうちごはん歳時記第38回 11月 金沢のごり               ②安曇野発182回  気になる町々 下諏訪町(しもすわまち)             ③214回シネマトーク【自ら耳を削ぎ落とした画家ゴッホ】 

安曇野発182回
  
気になる町々 下諏訪町(しもすわまち)

加藤 雅博

 
 それにしても台風19号は、長野県下に想定を越す、いや、想定すらもしなかった大被害をもたらす水害となりました。とりわけ千曲川沿線の、広域にわたる堤防の決壊は、広範囲な住宅地を襲い市民は孤立し、道路や田畑にも大きな被害を残しました。
 
 千曲川の上流である安曇野一帯にも大雨はありましたが、まさか下流、しかも川幅が広く、36年前の堤防決壊以降、再発防止の工事が進められてきた地域で河川の氾濫があるとは、19号の降雨量の凄まじさ、自然の底知れぬエネルギーを改めて認識させられました。浸水被害は少なくとも8千戸以上に上る見通しです。これから寒さに向かう時期。一日も早い復旧と生活の復帰を願わずにはいられません。
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下諏訪町役場と町章

 さて、信州町めぐりの3回目は、諏訪郡下諏訪町。諏訪市、岡谷市と並んで諏訪湖を囲む自治体です。長野県のほぼ真ん中に位置し、古代は、全国でも数か所しかない石器の材料、黒曜石の産地を控え、また、近世以降は甲州街道・中山道が交差する交通の要衝地としても栄えた歴史に富んだ町です。
 
 久しぶりに訪れた町を今回は駅前で借りた電動自転車を駆って、逍遥してみました。そう、下諏訪は自転車で観光するのに手ごろな町並みです。下諏訪駅を中心とした市街地はこぢんまりとしていて、見どころも限られた地域に集まっているため、車よりむしろ便利。
 
 諏訪地域の観光の目玉は、何といっても「諏訪大社」ですが、諏訪湖の周辺4か所に境内地をもつ「信濃國一之宮」で、国内で最も古い神社の一つとされている大社の4つのうち下諏訪にあるのは、春宮と秋宮の2つ。春宮は下諏訪駅から北西に約1km、秋宮からも西に1kmと三角形を描く位置にありますから参拝するにも自転車を活用する方が効率的であることが今回わかりました。
 
 諏訪大社は、6年(寅年と申年)に一度、それぞれの社の周囲に大木の柱を建て替える「御柱祭」が開かれ、諏訪盆地のみならず、県内外の観光客を惹きつけ、沸かす一大イベントを繰り広げています。下諏訪はその中核的な存在として、御柱祭が近づくと生活のすべてがお祭りを中心に回り始めるといった感じです。
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諏訪大社下社秋宮の境内入り口

 まず、秋宮に向かいました。秋宮の祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)と、その妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)です。また、建御名方神の兄である八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ)が合祀されています。
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秋宮神楽殿 巨大注連縄と狛犬

 境内に入って目に飛び込んでくるのは、極太の注連縄(しめなわ)を正面にとりつけた神楽殿。国の重要文化財です。境内にはほかにやはり重文に指定されている社殿、幣拝殿などなど貴重な建造物がずらりと並びます。このうち神楽殿は、江戸時代後期の天保6年(1835)に建てられたもので、両脇には青銅製では日本一の大きさと言われる狛犬がいます。
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中山道と甲州街道の合流点

 秋宮の周辺には宿屋が並んでいますが、それもそのはず、この地点は中山道と甲州街道との合流点。門前町と宿場町が合体して発展した街並みなのです。加えて中山道で唯一の温泉街。三拍子そろった町が賑わわないはずはありません。一帯にはその面影がたっぷり残されています。
 
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里見淳の筆による道標風の文学碑
 
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本陣跡の岩波家
 
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今井邦子文学館
 
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旧商家「伏見屋邸」

 秋宮から春宮に向かう中山道筋には、本陣「岩波家」跡をはじめ、旧商家の伏見屋邸、地元出身の女流歌人今井邦子を顕彰する文学館、そして10軒以上もある温泉の外湯が並びます。時間があったらその幾つかは利用したいところです。
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熱い湯で有名な「旦過の湯」
 
 その中で旦過(たんが)の湯は“温泉通”には知られた熱湯で知られた浴場。湯口は52度と高温で、湯桶の中は47度。やっと露天風呂が入りやすい湯温という具合。温泉街の中ほどに大きな共同浴場「遊泉ハウス児湯(こゆ)」は、一番人気の浴場。こんな特徴的な外湯が軒を連ねているのですから、温泉好きにはたまりません。
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春宮の鬼門寺「慈雲寺」
 
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慈雲寺の境内

 春宮手前に春宮を世の乱から守るために鬼門寺として建てられた慈雲寺があります。正安二年(1300)に開山された臨済宗の古で、見事な枯山水と池泉庭園を楽しめます。苔が路面を覆う静寂な境内に身を置くと俗世から切り離された感じ。春宮を参拝する際は、ぜひとも立ち寄りたいお寺です。
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諏訪大社下社春宮の境内入り口
 
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春宮の神楽殿

 中山道から少し下ると春宮。祭神は八坂刀売神(やさかとめのかみ)。神楽殿と拝殿はともに秋宮と同様、国の重要文化財の指定。建物の配置は両宮同じですが、微妙な大きさの違いを探してみるのも一興です。
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大社最古の建物「下馬橋」

 宮の入り口手前にあるのが下馬橋(げばのはし)=太鼓橋。天正6年(1578)に造営された諏訪大社全体の中で最古の建築物。かつてはたとえ殿様といえどもこの場所で籠や馬から降りて歩かなければならならず、この名前が付いています
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万治の石仏と岡本太郎揮毫の石碑

 春宮を参ったら、5分と離れてない「万治の石仏」の見学もおすすめ。伝承では、明暦3年(1657)、諏訪高島三代藩主が、諏訪大社下社春宮に石の鳥居を奉納しようと思いつき、命を受けた石工がノミを打ち入れたところ、その石から血が流れ出た、驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止めてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立した――とされています。
 
 この大らかで、一見ユーモラスな石仏を、大阪万博「太陽の塔」で知られる岡本太郎画伯が絶賛したことで有名になりました。大社春宮とともに紹介され、諏訪を代表するモニュメントになっています。
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おんばしら館よいさ
 
 やはり春宮から数分のところに3年前にオープンしたのが「おんばしら館よいさ」。御柱祭の歴史と全体像、諏訪人たちの心意気を伝えるのに格好の施設となっています。御柱の経路の模型、ジオラマ、祭り衣装、道具など展示され、映像資料もたっぷりに御柱祭を紹介しています。ここもぜひ。
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御柱祭最大の見せ場「木落とし坂」の碑
 
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坂の公園にある模擬御柱と木落としの画像
 
 町内を一周した後、御柱祭の最大の見せ場という「木落とし坂」に向かいました。春宮から4~5キロあるので、ここは車を利用。直径約1m、長さ17m、重さ10tもの巨木を、人力で山から社殿まで曳いてくる途中、崖の上から道路に滑り落とすのが「木落し」。
 
 猛然と坂を下へ突き進む大木にまたがって、御柱にしがみつ姿はこの祭りのクライマックスシーン。最大斜度35度、距離100m。崖上から見ると足がすくみそうです。次の御柱祭は令和4年(2022)壬(みずのえ)寅年に開催予定。テレビ画像で勇壮な男たちの木落としを観ようと思いました。
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下諏訪の情報を発信する「しもすわ今昔館おいでや」

 大社と街道と温泉に象徴される下諏訪町ですが、それ以外の貌(かお)を知るのに絶好の施設が秋宮のすぐ近くにあります。「しもすわ今昔館おいでや」です。町の観光協会によるものですが、「精密機器の町」と「埋蔵文化財の町」のイメージを合体した観光拠点です。
 
 諏訪湖周辺は豊富な水と澄んだ空気は精密機械に適するといわれ、とくに下諏訪は国内有数の精密機械産業の集積地に発展し、「東洋のスイス」とも言われてきました。中でも世界のトップシェアを誇った「時計とオルゴール」は今も町に息づいていますが、今昔館のうちの一つ「時計工房 儀象堂」では、セイコーエプソンのOB(旧諏訪精工舎)の技能者が指導しながら時計作りを体験させてくれます。
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水水運儀象台 左上は内部の画像
  
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諏訪湖オルゴール博物館 奏鳴館

 また、中庭には北宋時代(1090年代)に設計された水力式時計を復元した大きな「水水運儀象台」が設置され、実際に動かしながら台の中の見学可能。おそらく国内で唯一見学できる施設ですから、他の展示時計とともに必見です。儀象堂から歩いて数分のところには「諏訪湖オルゴール博物館 奏鳴館」もありますから、ついでにこちらへも足を伸ばしてみてください。。
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黒曜石採掘遺跡の復元と黒曜石の展示
 
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黒曜石を展示する「星ヶ塔ミュージアム矢の根や」

 もう一つ「おいでや」に併設されている埋蔵文化を紹介する施設「星ヶ塔ミュージアム矢の根や」は、町の北部、「星ヶ塔山」で見つかった黒曜石採掘遺跡などを再現した埋蔵文化の展示場。
 
 これまでの分析で星ヶ塔遺跡の黒曜石は、東北から東海地方までの広範囲に供給されていることがわかってきました。このため星ヶ塔遺跡は、縄文時代の資源開発と流通を考えるうえで極めて重要な遺跡として、平成27年(2015)3月に国史跡に指定され、八ヶ岳エリアの縄文文化の研究にますます注目が集まりそうです。
 
 古代から現代までの文化が凝縮した町下諏訪の刺激を楽しんだ旅でした。
 
 

 
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  加藤 雅博
 長野県池田町
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うにのおうちごはん歳時記

毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。

写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。


第38回 11月 金沢の ご り



 和において、賀州浅野川にこの種多し。国俗、夏に至り、この川に臨みて両手をもって水中に叉し、口に歌いて云、白ごり黒ごり、石の間から連立つて御ざれの、来んか来んかの、と押し返し押し返し唱ふに、この魚必ず叉手の内へ入るといふ。

 正徳3年(1713)に成立した俳諧歳時記『滑稽雑談(こっけいぞうだん)』の一節です。金沢市中を流れる浅野川ではカジカの類いが多く、夏になると川に入って流れに両手を入れ、「白ごり黒ごり、石の間から連立つて御ざれの、来んか来んかの」と何度も何度も唱えると、ごりが手の内に入ってくると説明しています。
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犀川と並び金沢市街を流れる浅野川
 
上流の湯涌(ゆわく)温泉あたりから流れ下り、幾多の橋をくぐって河北潟に注ぎます

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金沢市街の南部を流れる犀川

文豪室生犀星が「うつくしき川は流れたり そのほとりに我は住みぬ…」と表しました

 ごりとは清流を好む川魚で、カサゴ目カジカ科カジカ属のカジカのこと。日本全土に生息します。私は20代のころ多摩川上流で渓流釣りを楽しみましたが、たまに外道でカジカが釣れました。カジカは各地でいろいろな名称がありますが、金沢での呼び名がごりです。形はハゼに似ていて体長は7~15cm。胸びれが吸盤のように発達しており、流れの中で岩に身体をくっつけて休みます。漢字で「石伏魚」とか「鮴」と書きますが、これはこのような習性からできた文字です。金沢市には犀川と浅野川という2本の河川が流れています。この川では江戸時代から川魚漁が行われてきましたが、そのひとつが“ごり漁”です。犀川大橋を中心に城下の様子を描いた『金沢城下図屏風』(19世紀中頃 石川県立歴史博物館所蔵)に、犀川でのごり漁の様子が描かれています。4人の人物が二組に分かれ、一組は竹で編んだちり取りのような漁具を持ち、もう一組は取っ手をつけた板で川底をさらっています。竹で編んだ籠を“ブッタイ”、取っ手をつけた板を“ごり押し板”と呼びます。岩に吸いつくようにしているごりを板で無理やり離してブッタイで捕えるのです。強引に事を行うことを“ごり押し”といいますが、語源は一説にこの漁法に由来するといわれます。
(※PH3 ごり).jpg

現在料理店で使われるごり。体長は12、3センチほどもあります

(※PH4 ブッタイ).jpg

ごり漁で使われたというブッタイ。追い込んだごりをこの籠で捉えます

(石川県立歴史博物館所蔵)


 ごりは姿形はグロテスクですが味は美味。金沢では白味噌仕立ての椀ものや佃煮、唐揚げで賞味します。陶芸家であり美食家でもあったかの北大路魯山人はごりを愛でた一人。また吉田健一は『私の食物誌』のなかで「金沢のごり」と称して「そのごりの唐揚げが旨い。これは小さな魚で佃煮にでもしなければというようなことで所謂ごりの佃煮が始められたのかも知れないが、それが金沢の真ん中で取れるのはちいさくても太っていてその淡泊な味が恐らくは上等な油で揚げるという料理法で生かされ、殆ど味がしないという味というものの極致に達する。」と賛美しています。
 ごり漁は昭和の初期まで犀川、浅野川で日常的に行われていました。しかし河川環境などの変化に伴いごりが獲れなくなり漁は行われなくなりました。そのためごりは“マゴリ”と呼ばれ貴重で高級な食材となってしまいました。現在では金沢市北にある河北潟で獲れるハゼ科の魚が、本来のごりに変わって“ウキゴリ”として賞味されるように変わってきたのです。この小さな川魚は金沢の郷土料理の顔として現在も大切にされています。
(※PH5 ごりを揚げる).JPG

唐揚げ粉をまぶしたごりを中温の油で揚げます。さらに油を高温にし二度揚げします

(※PH6 ごりの唐揚げ).JPG

金沢の郷土料理“ごりの唐揚げ”の完成、清流を受け止め泳ぐ様子が表現されています


※ごりおよび唐揚げの写真はいずれも季節料理つばきで撮影したものです。

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